生きてきたということ、生きているというしるしとして。~前半~

僕が住んでいるところ
古くからある、お世辞にも綺麗とは言えない六畳一間
畳と古臭い模様の磨りガラス、擦るとボロボロと屑が落ちる壁
誰かが廊下を歩く音、扉を開ける音はとても良く聞こえる
狭い、狭い後付けのトイレとお風呂
僕が住んでいるところ

 

家賃はいつも手渡し。
今日は、その大家さん、のお話。

「戦後は何もなかったよ、だから売れば何でも売れたね。だって何にもなかったんやからね、みんな何でも欲しがったもんよ。
本なんて戦後すぐは手に入るもんじゃなかったから、戦争が終わった後に学校で『罪と罰』なんかを買ってくれて、それをクラスで回し読みしてさ。
法学部の学生は六法全書なんてとても買えやしないから、毎日本屋さんに通って全文をノートに書き写したんだ、本屋さんもそれを知ってたけど、学生の事情も分かっているから黙認してたんよ。だから、昔の成功した人たちは本当に努力家で頭が良かったねー。頼れる人がいないんやもんね。」

「伊藤忠やって今こそあんなおっきい商社やけど、昔は小さな反物屋さんでな。『伊藤忠に就職します』なんて聞いたら『あんな履物屋さんに行ってお給料もらえるん??』って思うようなとこやったわ。」

「今の音楽はさ、詩が汚いわ。リズムはええんかもしらんけどな。私が若い頃はジャズ喫茶やクラシック喫茶がたくさんあって、有名なシャンソン歌手が世界中から来ていたよ。映画だって、今の映画はなんやよー分からんわ。まあ私が年寄りになったから役者さんが分からなかったりするだけなんかもしらんけどね。たまに昔の映画を見たりなんかすると『こんなんで感動してたんか〜』思うこともあるけど、それでも良かったんやね。テレビやって今はなんでも根掘り葉掘り掘り下げてプライバシーなんてあったもんじゃないでしょ。私らの時代は京都に色街っていうのがあって、そこには二号さんと男の人が堂々と歩いてて、奥さんも分かってるようなことが当たり前やったからね。政治家の人やって、仕事さえちゃんとしてくれてたらそんなことぐらい目瞑ってあげたらええのに思うこともあるよ。」

「今のテレビは面白くないからな、私NHKが来たらいっつも怒るんや。『お金取るんやったらもっとまともなもん放送せい』言うてな。YouTubeって何やの?(今や若者にとってはテレビに代わるようなコンテンツになりつつありますよ。)それは誰でもあげること出来るんか?(僕だって上げれます。世界中に発信出来ます。)どんな内容でもあげてええんか?(よっぽど卑猥でなかったり、著作権に触れなければ。)世界中の映像が観れるんか?(観れます。)あの小さいケータイでしか見れないん?(テレビと接続してテレビ画面で観れますよ。)それは見るのはタダなん?(タダです。)ほんなら誰も儲からんもんなんか?(YouTube自体は広告収入、動画を上げた人は視聴回数に応じてお金がもらえます。)あ〜〜そう。そらええわな〜〜。そらあんなテレビなんか観んでもそれ観といた方が面白いわな〜。」

 

生きてきたということ、生きているというしるしとして。~後半~に続く

 

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