“A Lovely Night”、こんなのただの独り言。

こないだは『LA LA LAND』を観てきました!ネタバレも素人の批評も今回はないので安心して読んで下さい、ただの導入です。笑

前作の『セッション』がめちゃくちゃ大好きだった僕はこの映画をすごく楽しみにしていたのですが、今日はその映画の批評とかするつもりはなくて、挿入歌で”A Lovely Night”という曲があって、その中の歌詞で”What a waste of lovely night”というのがあります。意味はそのままで、「なんて無駄な夜景なんだ」(作中に即して言えば少し意味は違うけど、ネタバレになるからこれで通します)というもの。

lalaland

そのシーンでふと思い出したのは、僕は夜景があんまり好きじゃないってこと。笑

ありがたいことに異性に「夜景を見に行きたい」なんて言われたときも、ことごとく断った記憶しかない(断らなかったら何か変わっていたのかなんて、考えることも、たまにある笑)。最近は断る機会もないのですっかり忘れてましたが。笑

 

そんな僕にも好きな「場所」がすごくたくさんあるんです。

良く晴れた日曜日の午後のみんなが少しだけ何かを諦めたようなマクドナルドとか、

雪に反射する光が暴力的ですらあった昼前の富良野とか、

インスタントでコンビニエンスな優しさで僕に微笑む夜の梅田とか、

ひそひそ声で僕らの話をする夜の森とか、

何を話してるのか分からない年寄りがたくさんいる独特な匂いのする朝の十三の居酒屋とか、

静寂とか喧騒とか、

僕は全部好きだ。

なんだかそれは「ここは居心地がいい」って、受け容れる僕の幅が大きくなったみたいだ。知識が深まったのか、諦めがついたのか、心が広くなったのか、疲れたのか。何かを嫌いになることをやめた僕の選択は、成長か、怠惰か。

 

少し前までは、どこに居ても喜びを感じることが出来ている自分に満足していたけど、基本的に斜に構えて物事を見てしまう僕は、「今『ここ』に居ることに喜びを常に感じてしまっては、ずっとここに居るんじゃないだろうか」なんて思います。

「ここは僕の居場所じゃない」って感じながら「ここに居るのも悪くない」って思う僕の感情に、僕自身が戸惑っているみたいだ。矛盾とか二律背反なんて関係ないのに。

これは僕のいつもの悪い癖。「そんなの何でもいいよ」って言ってる物事にほど実はすごくこだわっているのに、誤魔化している内に自分でもよく分からなくなってくる。

まっすぐなんて見なくていいから、そんなものないから、せめて自分にだけは、ちゃんと正直になろう。周りには見栄を張ったって、ハッタリかましたって、卑屈になったっていい。そんなときぐらいあるから。

そんな独白。

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