2021年1月21日。
山口県に住む僕のおじいちゃんが亡くなった。

最後に会ったのは病院で、
酸素マスクを付けながらスウスウと寝ている姿だった。

いつでもキリッとしていて、
それでいて少し困ったように眉が下がる笑顔がとても優しい
おじいちゃん。

小さい時、お正月に会うといつも僕のために500円玉で1万円分を用意して渡してくれた。
(毎年毎年、それを机の上に広げて一枚ずつ数えるのが好きだった。)

僕がしゃがんでおじいちゃんの手を掴み、
おじいちゃんの膝に僕が足をかけて肩まで登っていく、
“人間ロッククライミング”のような遊びを『山登り』と名付けて
会うたびにやっていた。

地元の徳山動物園と自分が働いていた会社が大の自慢で、
いつも僕たちを連れて行ってくれた。
(退職後も平気で会社の敷地に車で入りながら案内をするもんだから、
僕は少しヒヤヒヤしていたけど。笑)

囲碁が大好きだけど一緒にやる人がいないから、
パソコンのソフトでPCと対決をするけど、
強すぎて名人にも勝っちゃって、その内飽きてしまったおじいちゃん。

おばあちゃんが亡くなってからは、自分でご飯を作って洗濯をして、
毎日お仏壇の前でお経を唱えていたおじいちゃん。

「あっちの港から回天が出ていったんや」と
風車がある山上公園から話してくれたおじいちゃん。

奥さんを連れていった時には、「可愛い奥さんやなあ」と
本気の顔で言ってくれて、
家庭の医学を広げながら何故か少しいやらしい話をし出したおじいちゃん。
そうそう、3人で風車の公園に登った時には、
その山頂にある大きな大きな手回しのオルゴールを全力で回してくれたっけ。

そんなおじいちゃんのお葬式に行くと、
何度か会ったことがあるおじいちゃんの友達が僕のところに来て、
「しゅうちゃん??おじいちゃんがいつもいつも『しゅうが心配や』って言って話をしてくれてたよ」
と言ってくれた。

いつでも、過去と家族と背負って堂々と生きていたおじいちゃんは、
その身体で未来のこともいつも考えていた。

僕以上に僕のことを心配してくれていて、
僕たちに何かを残そうと、何かを繋ごうとしてくれていた。

 

お空の上でおばあちゃんに会ったら、おじいちゃんは何て言うんだろう。
仲良く、二人で僕のことをそわそわしながら見守っていて下さい。
二人が安心できる僕になるのは、もう少し先かもしれないけれど。

遠く、遠い。

今年に入って初めてのブログ。

というより、
前回のブログは2020年9月だから、
実際には4ヶ月ほど空いてしまったんだ。

この4ヶ月間で起こったたくさんのことは、
現場であるいは短い言葉でSNSを通して
共有出来ていたら嬉しい。
(急に投げやりですみません。笑)

僕がまだ言えてないことと言えば、

今年はどうやら欲しいものが
たくさんあるみたいということ。

①C Hijazが基調となった15notes以上のハンドパン
②1000坪程度の家と土地
③車
④ヤギ
⑤ニワトリ

こんなにもたくさんのモノを欲しいと
感じたのは人生で初めてだろう。

僕は持たざる幸せや
不足や不便からなる手間
みたいなものが割と好きなんだから。

ただ、これらのモノを欲しがる一方で
お金とか世間的信頼とか、
今まで避けてきたものたちが
借金取りのようにツケを払えと迫ってくる。

それが不快だとか
今までの生き方を後悔しているとかは
ないんだけど
僕自身がまだまだ
甘ったれた鼻垂れ小僧なんだなとも思う。

道端に落ちている
小さな石コロに躓くような理不尽からの
逃げ方も分からないし、

誰かが悲しんでいる時の
寄り添い方も分からない。

星の名前も花の名前も知らないし、
旅立とうとする人の送り方も分からない。

 

「願えば叶う」

それはそうなんだけど、僕は
“願えば”と”叶う”の間に横たわる膨大な
何かをまだ知らない。

 

一歩ずつなんだ。

道を間違えて、石に躓いて、
汚れた手で目を掻いて充血したり、
登山に革靴を履いちゃったりしながら、

一つずつ。

 

滑稽に見えて笑われたり、
見当違いだったりそうでなかったりする
怒りや無視にも
愛を込めてお辞儀を出来るように。

まだまだ、遠くまで歩いていける。

アートは、偉大だ。