Ruhla

僕が今、一番自信を持ってオススメ出来る
ハンドパンブランドPRIMA HANDPANと、
大阪のバンドgrunbandのドラマーであり
シンバルメーカーemjmodでシンバルを
製作する延命寺さんとのコラボPV
“Ruhla”が解禁となりました!!!

延命寺さんと出会った時から
お互いやりたい!と思ったのが
一年前……。

曲を作ってレコーディングをしたのが7月。

鳥取砂丘で撮影をしたのが9月。

時間をかけて、少しずつ出来上がった
実感がとてもある作品です。

そんな新曲”Ruhla”の撮影に関する
裏話みたいになるのですが、
今回の鳥取砂丘での撮影は
人生で一番ハードな
撮影になりました。笑

鳥取砂丘の景色の良い所まで機材を運ぶ
(撮影の都合上、深夜の2時とかに笑)んだけど、
これがまぁめちゃくちゃしんどい。笑

ハンドパン、撮影機材にドラムセット。
これらを背負って、
距離感が掴めない砂丘を
ひたすら進む、登る。

近いようで全然着かない丘の上まで。

着いたと思ったら急いで
セッティングをして
冬の気配を感じる9月末の砂丘の深夜の風を
浴びながらの撮影。

みんながヘトヘトになって
撮影が終わった朝方に、
また同じ道を辿って機材を運ぶ。

ただ……そこまでして良かった!!

と心から思えるほどの作品になりました!!!

今回のテーマは
「モノづくりへの感謝と敬意」

過去から受け取ったモノを
今の僕らが作り
いつかの未来の誰かに繋がるストーリー。

僕は、音楽でも映画でも小説でも絵画でも
あるいは
あなたのあの時の言葉や
口では伝えられなかったあなたの目線。

そういったものたちに何度も何度も
救われた人生でした。

きっとこれからもそうだと思います。

そして、創ることの楽しさを。
溢れるものを止めない心地良さを。

それらを全て
カッコ良い音楽と映像とダンスの中で
3分間で表現したかった。

延命寺さんはもちろんのこと、
ダンサーのYURIEさん
映像ディレクター渡辺さん
音源にスペシャルゲストで参加してくれた
ガチタンバリン奏者 大石 竜輔さん
レコーディングをしてくれたStudio Orqueさん
本当にありがとうございます。

すでにだいぶ長くなってしまいましたが、
今回の新作”Ruhla”に寄せた曲詩と共に。

——————————

“Ruhla”

音楽って
ダンスって
表現って
もっと自由だ

作ることに
ワクワク出来れば良い

作る過程が
生んだコトが

喜びであれば良いのだから

そこにただ居る
それも自由な表現だ

大きく
深く
愛に溢れたモノたちよ

地球は
宇宙は
歴史は
未来は

あなたの参加を待っている

——————————

たくさん見てくれて、

たくさん広めてくれると

本当に嬉しいです。

最新アルバム ”Better choices for the Earth” 発売します!!!

という事で、この度久しぶりとなる最新音源
“Better choices for the Earth”を発売します!!!

さてさて、今回は長いよ。笑
ゆっくりで良いから、最後まで読んでほしい。

 

まず今回は全7曲入り!!

さらに、今回は特別に
大阪・能勢にあるアップサイクル家具屋さん
BERGKAMPさんとのコラボ商品として、
CDではなく、BERGKAMPが手掛ける
まさに”一点ずつ”大切に作る
廃材から作られた
アートフレームに、
これまた一点ずつ
僕がデザインとQRコードを入れた
特別作品!!

詳細はこんな感じです!!

SHU 1st Full Album
“Better choices for the Earth”

  1. Ruhla (SHU × 延命寺 a.k.a emj feat.ガチタンバリン奏者 大石 竜輔)
  2. あの娘
  3. パジャマ
  4. New moon (Redefinition)
  5. 風のオーケストラ
  6. satellite
  7. あの娘(Beginning)

Price: ¥6,000(+tax)

*大阪・能勢にあるアップサイクル家具屋BERGKAMPとのコラボアートフレーム作品!!

 

延命寺さんとのコラボ曲”Ruhla”に加え、
the caves × SHUの2nd mini album
「朝がくれば」にも収録されている
“New moon”を再定義。

さらに、YouTubeで93分間の
ループ音楽としてあなたの様々なシーンに
寄り添う事で徐々に人気を上げている
“satellite”をShort & Electro Ver.で!!

そして新曲もたくさん!!!

この新曲たちは、
のせでんアートラインに出品された
ドキュメンタリー映画

「ノマディックのこと ~大谷さんちの4ヶ月~」

の為に書き下ろされた新曲たちです!!

映画音楽に携わることは、
僕のアーティスト人生の中で
大きな大きな目標でした。

本当に、素敵な機会をありがとうございます。

と、どう見積もっても僕の最高傑作です!!笑

僕がこの京都・亀岡に引っ越してきて半年。
この、奥摂津と呼ばれる土地に引っ越したいと考えてからは2年程。

その中で出会った人々や、
自然と暮らす中での対話。

環境問題にイケてる方法で
やれる事から取り組みたいと思ったし、
そう思ってる人やクリエイターが
周りにたくさんいる生活。

CDを作らない方法で
いや、そもそも
新しい何かを僕の音源のために
生み出さない方法で
今回の音源を発表したかった。

だから、廃材をアップサイクルという
循環の中でアートフレームに
生まれ変わらせる事にした。

飾ってオシャレで、
持っているだけであなたにとって
自慢になるような形を取りました。

一人のアーティストとして、
あるいは
一人の田舎に住む者として
誇りある作品です。

そして、大げさな言葉を使えば
世界を変える音源だと思っています!!!

あ、ちなみに、QRコードにはパスワードを付けていません。笑

シェアしたいと思えば、シェアして良いよ!!

共有していこう。

発売開始は11/19から!!

どうぞ、よろしくお願いします。

satellite

3ヶ月前にYouTubeで出した新曲
“satellite”が再生回数を少しずつ
延ばしています!!

 

 

聴いてくださっているみなさん
本当にありがとうございます。

 

この曲は構想としては
ずっと頭の中にあったもので、

「どうやって音源にしようか」

という点で足踏みをしていました。

 

とにかくゆったりしていて
気持ち良くていつまででも聴ける。

ずっと聴いていたい……笑

 

あぁ、そっか。
じゃあ、繰り返して聴けるようにつくろう。

あなたが何かをする時の
何もしない時の93分間に
自然と寄り添える音楽を。

「聴く」音楽でなく
「居る」音楽になれば幸いです。

映像は、自宅の庭から見える
朝日がその顔を出す直前までを。

くらやみから灯りが見えるまでを。
心のモヤモヤが晴れる直前までを。

入り口まで寄り添ってみよう。
その後に扉を開けるときには
別の何かがあなたを待っていますように。

———————————

SHU – “satellite”

朝の目覚めに

眠れない夜に

眠りたくない夜に

始まりに

終わりに

何かに集中したい時に

ぼうっとしたい時に

あてもない考えを巡らせたい時に

誰かとゆっくり話をしたい時に

誰かとただ見つめ合いたい時に

自分の内側と対話したい時に

あなたの周りを巡る音楽となりますように

———————————

どうか、この先もあなたのシーンに

寄り添えますように。

ある話。

それは、僕たちが亀岡に引っ越す
少し前の事だった。

某大型ホームセンターにて、
新居でのハンガーを買う時に
何気なく買い物カゴに入れた
プラスチック製のハンガー。

それを見た時にふと口から出てきた
「プラスチックのモノってダサくない?」

今思えば、あれが始まりだったんだ。

その時から僕たちの中に出来た
“プラスチックじゃなくていいものは、
多少値段が違っても木や鉄で出来たモノを買おう”
という考え。

これから僕たちは、
自分たちがイケてると思う場所で
イケてると思う環境を作るんだから、
イケてないものを買う必要なんて
どこにもない。

そこから、京都・亀岡に住み始めて
5ヶ月が経った。

まだまだ新入りだけど、
庭に生えている木々の移り変わりや
虫や鳥の鳴き声で四季を感じられる
環境にいる中で、どうしても考えずには
いられない自然のこと、環境のこと。

環境問題とかチキュウオンダンカとか、
大きな問題過ぎて僕には無関係だった
アレやコレが、目の前で生き生きと
している様子。

なんだか、モヤモヤしてきた。

新しい感覚の芽生を感じた。

さらに調べてみると、
どうやらこの亀岡市は
日本でも有数の環境先進都市らしい。

おやおや、たまたま住み始めたこの場所、
なんか今までと違うぞ、、、。

それから数ヶ月後、
長野県に行ってきた。

パンと日用品の店 わざわざでは、
ターゲットが絞られても良いから
自分たちが納得できる働き方と商品を
提案しようという姿勢。

カナディアンファームでは、
何かを自分たちで作る事は当たり前で、
人が自然の中にいるのが当たり前だという
気持ちが見えるお店作り。

Rebuilding Center Japan(リビセン)では、
昔からあるものをレスキューして、
“新しい価値のあるもの”として再定義する
“Rebuild New Culture”というコンセプト

そして、霧ヶ峰高原でみた景色。

少しずつ、少しずつ繋がってきた
感じがした。

そして、豊能町にある行きつけのカフェ
emma coffeeで店主の中西さんに教えてもらった
「循環」という様々な分野・方法で
自分なりに環境問題と取り組む人たちの本。

これだ。
モヤモヤが晴れた感じ。

エシカルな生き方
アップサイクル
プラフリー
ゼロウェイスト

まだまだ実践出来ない部分も多いけど、
ピンと来た。

「環境に良い事するのって、
めちゃくちゃイケてるんじゃない?」

そうだ、いつも僕の基準は
ダサいかイケてるか。

ハンドパンを演奏する事も
田舎の古民家に住む事も
イケてる。

そして、地球に良い事をするのも
イケてる。

自分の生活や創作活動の中で
なるべく矛盾を減らしたい。

ゴミ問題に無頓着なまんま
アーティストでいる事が
なんとなくキモチワルイ。

大きくて難しい問題じゃなくなった。
いつも通り、自分がカッコ良いと思う事を
やるだけになった。

さて、まずはコンポストキエーロを
作るところから。

出来る事から、
やりたい事から。

環境に良い事は、カッコ良い。

旅と日常。

ついに2年と少し住んだ家を引っ越しました!!

大阪・谷町六丁目という最高のタウンでした。

結婚して初めて2人で選んだ家。
お米を迎えた家。

hoffmaやLP Kitchenといった
最高のお店と人々に出会えた家。

家の前の大きな木の下で、
隣のおばあちゃんと何度も何度も、
ほとんど毎日話をした。

“きょうはさむいね~。”
“寒いと布団から出れないね。”
“この時期になると落ち葉がたくさんで
掃除が大変だからほどほどにしないと
キリがないね。”

“何の本を読んでるの?”
“暑いけど、この木の下は涼しいね。”

“良いお年を。”
“あけましておめでとう。
今年もよろしくね。”

おばあちゃんの娘さんと息子さんの話。
亡くなった旦那さんの話。
亡くなった旦那さんのお姉さんの話。
おばあちゃんの兄妹の話。
田舎の話。
この家の前の道がまだ舗装されていなかった時の話。
猫獲り籠に捕まった飼い猫の話。
大きな木の話。

 

始めは単なるお隣さんだったのに、
気がつけば毎日話をして
お漬物をもらったり
何かをお裾分けしたり
本を貸したり本を借りたり。

高い枝を切るのを手伝ったり
綺麗な椿を切ってもらったり。

そんなおばあちゃんは
僕たちの引っ越しが近づいてバタバタすると、
「いよいよやねぇ~、寂しくなるわ。」
って毎日言ってたんだ。

その度に、
「まだいるよ!!明日も会えるよ!!」
なんて言ってたけど、ついに
「そうだね、いよいよだね」なんてさ。

 

僕もおばあちゃんも泣きそうだった。

30歳と86歳。

正真正銘に孫とおばあちゃんぐらい

歳の離れた僕らは

紛れもなく友達だ。

お願いだから、長生きしてよね。

2021年1月21日。
山口県に住む僕のおじいちゃんが亡くなった。

最後に会ったのは病院で、
酸素マスクを付けながらスウスウと寝ている姿だった。

いつでもキリッとしていて、
それでいて少し困ったように眉が下がる笑顔がとても優しい
おじいちゃん。

小さい時、お正月に会うといつも僕のために500円玉で1万円分を用意して渡してくれた。
(毎年毎年、それを机の上に広げて一枚ずつ数えるのが好きだった。)

僕がしゃがんでおじいちゃんの手を掴み、
おじいちゃんの膝に僕が足をかけて肩まで登っていく、
“人間ロッククライミング”のような遊びを『山登り』と名付けて
会うたびにやっていた。

地元の徳山動物園と自分が働いていた会社が大の自慢で、
いつも僕たちを連れて行ってくれた。
(退職後も平気で会社の敷地に車で入りながら案内をするもんだから、
僕は少しヒヤヒヤしていたけど。笑)

囲碁が大好きだけど一緒にやる人がいないから、
パソコンのソフトでPCと対決をするけど、
強すぎて名人にも勝っちゃって、その内飽きてしまったおじいちゃん。

おばあちゃんが亡くなってからは、自分でご飯を作って洗濯をして、
毎日お仏壇の前でお経を唱えていたおじいちゃん。

「あっちの港から回天が出ていったんや」と
風車がある山上公園から話してくれたおじいちゃん。

奥さんを連れていった時には、「可愛い奥さんやなあ」と
本気の顔で言ってくれて、
家庭の医学を広げながら何故か少しいやらしい話をし出したおじいちゃん。
そうそう、3人で風車の公園に登った時には、
その山頂にある大きな大きな手回しのオルゴールを全力で回してくれたっけ。

そんなおじいちゃんのお葬式に行くと、
何度か会ったことがあるおじいちゃんの友達が僕のところに来て、
「しゅうちゃん??おじいちゃんがいつもいつも『しゅうが心配や』って言って話をしてくれてたよ」
と言ってくれた。

いつでも、過去と家族と背負って堂々と生きていたおじいちゃんは、
その身体で未来のこともいつも考えていた。

僕以上に僕のことを心配してくれていて、
僕たちに何かを残そうと、何かを繋ごうとしてくれていた。

 

お空の上でおばあちゃんに会ったら、おじいちゃんは何て言うんだろう。
仲良く、二人で僕のことをそわそわしながら見守っていて下さい。
二人が安心できる僕になるのは、もう少し先かもしれないけれど。

遠く、遠い。

今年に入って初めてのブログ。

というより、
前回のブログは2020年9月だから、
実際には4ヶ月ほど空いてしまったんだ。

この4ヶ月間で起こったたくさんのことは、
現場であるいは短い言葉でSNSを通して
共有出来ていたら嬉しい。
(急に投げやりですみません。笑)

僕がまだ言えてないことと言えば、

今年はどうやら欲しいものが
たくさんあるみたいということ。

①C Hijazが基調となった15notes以上のハンドパン
②1000坪程度の家と土地
③車
④ヤギ
⑤ニワトリ

こんなにもたくさんのモノを欲しいと
感じたのは人生で初めてだろう。

僕は持たざる幸せや
不足や不便からなる手間
みたいなものが割と好きなんだから。

ただ、これらのモノを欲しがる一方で
お金とか世間的信頼とか、
今まで避けてきたものたちが
借金取りのようにツケを払えと迫ってくる。

それが不快だとか
今までの生き方を後悔しているとかは
ないんだけど
僕自身がまだまだ
甘ったれた鼻垂れ小僧なんだなとも思う。

道端に落ちている
小さな石コロに躓くような理不尽からの
逃げ方も分からないし、

誰かが悲しんでいる時の
寄り添い方も分からない。

星の名前も花の名前も知らないし、
旅立とうとする人の送り方も分からない。

 

「願えば叶う」

それはそうなんだけど、僕は
“願えば”と”叶う”の間に横たわる膨大な
何かをまだ知らない。

 

一歩ずつなんだ。

道を間違えて、石に躓いて、
汚れた手で目を掻いて充血したり、
登山に革靴を履いちゃったりしながら、

一つずつ。

 

滑稽に見えて笑われたり、
見当違いだったりそうでなかったりする
怒りや無視にも
愛を込めてお辞儀を出来るように。

まだまだ、遠くまで歩いていける。

アートは、偉大だ。

 

スーパーニュートラル。

ライブにお誘いをして頂いた時にたまーに、
「年齢って非公開ですか?」とお気遣いをしてもらう時がある。

もちろん、そんなことはない。
僕は明日、誕生日を迎えて30歳になる。

(愛犬、お米と29歳の僕。)

10歳の時、”班登校”という近くの子供達が1年生から6年生まで
いっしょくたになって待ち合わせをして学校へ向かう道の途中、
ふと「この倍生きたら僕は20歳になるのだ」と漠然と思い、
少しだけうんざりして少しだけ興奮して、
未来への大きな期待と途方もない”10年間”について思い悩んだことがあった。
(20歳になった時、何も変わらない自分に大きく失望したことは言うまでもない。)

正直に言うと、29歳の僕は今、相変わらず30歳になることに同じ感情を抱いている。

それこそが何も変わっていない証拠なのかもしれないけれど。

(2020年the caves×SHUオーストラリアツアー。Photo by BOWEN HOPPER)

きっと僕はいつまでも
豊かな現実を有り難く享受しながら
その先を憧れのように見つめ続ける。

(お米のいる日常。)

人々の寂しさに寄り添えるような音楽を。
幸福や慈しみを全身で感じられる音楽を。

100年後の子供たちに僕らが伝えることが出来ることなんて
想像もつかないから、僕らは自分たちが思い描くものを
思い描く以上に表現し続けることしかないんだから。

(2020/7/5 the caves×SHUライブat FATAPIA。Photo by Chiiho Photography&Works)

みなさん、叶うならば
これからも
恋のようで愛のようで
クソみたいな吐きだめの中にある
輝く場所で
血反吐を吐きながら笑顔で
涙を流して
HateとLoveが手を繋ぐ場所で
会いましょう。

(2020年the caves×SHUオーストラリアツアー。Photo by Alexander William)

樹木希林が娘さんに話していた
「驕らず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
という言葉を胸に。

(家族と桜。)

20代最後の僕からみなさんへ、
最大限の感謝と愛を込めて。

(能勢の山道にて。)

見守られながら。

今回は、僕の隣に住むおばあちゃんの話です。

僕は現在大阪市内に住んでいます。
こう聞くと、とってもナイスなシティーボーイに聞こえる。

確かに、心斎橋や難波へは自転車で10分程度、
天王寺や梅田だって20分も自転車に乗れば着いちゃう。

だけど、僕が住んでいる家は大正時代から100年近く建っている
長屋のうちの一軒家で、家の前には雨から守ったり日差しを遮ったりする
大きな大きな木が生えている。

あまりにも大きくて、公道にもはみ出しているけど、
誰が植えたかなんて分からないから誰も処理しない。
「この木は根っこが家の下まで伸びているから、もし切ったら家が崩れる」
とも言われ、
「この木のおかげでこの長屋は大阪空襲を生き延びた」とも言われる。

さらに家の中に入れば、一軒家とは思えないほどの狭い間取り。
昔ながらの日本家屋らしさもある。

建物だって歪んでいるから、扉は固くて、
梅雨の時期は木が膨張していよいよ動かない程だ。

そんな長屋がまだまだ”新築”に分類されていたであろう時代から
ここに住んでいるのが、僕の隣のおばあちゃん。

 

歳は80代後半だったと思う。

今も元気で、耳だって口調だってハッキリしているし、
この間まで自転車に乗って買い物に行っていたし、
1日に何度も家の外に出て自分が植えた植物たちの面倒を見ている。

天気の良い日は外に椅子を持ち出して、
大きな木の下で編み物やえんどう豆の皮むきをしたり本を読んだりしている。

僕は、仕事柄ライブの日以外は家にいることが多くて、
(つまり、最近はずっと家にいる・・・)
身体を伸ばすために外に出た時によく会うから、その時にお話をする。

この家のことも、大きな木のこともおばあちゃんから教えてもらった。

 

お手製のきゅうりのぬか漬けや、作り過ぎたポテトサラダ、
彼女の友人の庭に自生しているニラのお裾分けなどもよく頂く。

彼女が育てている大葉や金柑は、必要とあればキッチンからそのまま外に出て、
少しもぎって料理に使わせてもらっている。

そんな彼女との話。

彼女の娘さんと息子さんのこと、
パンデミックのせいでなかなか家から出れなくてストレスが溜まるということ、好きなことをして生活をしている僕をとても羨ましがってくれること、
昔のこと。

 

彼女が言ってくれた
「お金なんて今はなくてもいい。ワタシは今は多少お金あるけど、好きなことなんて何も出来へん。それよりも、若い時にお金が無くても苦労してた時代の方が楽しかったわ。」

という言葉は、僕には想像も出来ない彼女の人生の重みが詰まっていた。

僕はその言葉を時々「よいしょっ」と引っ張り出して
モサモサとした、癖のあるクッキーのように少しずつ
有り難く齧っている。

 

まだまだ、元気で。

色んな話を聞かせてね。

生活

前回のブログ『ニュー・シネマ・パラダイス』は、実に半年ぶりの更新だった。

その前に書いた東京ツアーのブログ『贅沢な雑記として。』
それから戻ってきた後は怒涛のような半年間だった。

(MV作成中の一枚)

オーストラリアツアーがあり、
(オーストラリアツアーに関しては、
Instagramアカウントにて毎日リアルタイムで更新をしていました!!!
もしよろしければ、Instagramにて”shuhandpan”をフォローの上、
「#australiadiary」でブログを読んだり、
ストーリーズのアーカイブをお楽しみ下さい!!)
世界の仕組みを丸々アップデートしてしまうようなパンデミックがあり、
楽しみにしていた音楽イベントがなくなり、
新しい楽しみ方と穏やかに過ごさざるを得ない日常の中で、
隠れていた次の生き方を模索し、変わろうともがき、変わらないものを愛した。

(オーストラリアにて)

(日常)

その後は、素敵なイベントにいくつか出演をして、
新しい出会いと価値観の中で生まれ続ける新しい自分と変わらない自分の狭間を
揺れながら楽しんだ。

(2020/2/16 Live at LPキッチン)

(2020/5/30 Live at たいよう Photo by オモタニカオリ)

(2020/6/14 BOTAFES みんなのお花見プロジェクト収録)

 

本来なら、一つ一つがブログに書けたことなのに、
何一つとして形にならなかった。

そんな日々の中でも変わらず文章は書き続けていたけれど、
ブログという形でアップをすることが少しずつ怖くなっていった。

書くことに飽きたのではなく、書きたい衝動と書かなければいけない焦燥の中で
書くことが出来なかった。

(2020/7/5 Live at FATAPIAにて)

そして、エンニオ・モリコーネの死を受けて、改めて考えてみた。
僕が音楽を作ることと、文章を作ることについての関係性を。
関係性がないということを。
音楽にしたい生活も、ブログにしたい生活もある。
どちらにもなる生活も、どちらにもならない生活もある。
どちらかがスムーズに進んで、どちらかが立ち止まったり、
どちらも「ダメだこりゃ」となったり
どちらも最高速度をキープしたり。

脳みその使い分けも時間帯による棲み分けも
刺激の強弱による振り幅もない。

まだハッキリと理解出来ていないだけかもしれないけど、
どちらも「なんとなく」という言葉がしっくりとくる。

(2020/7/4 Live at 桜ノ宮foodscape!storeにて)

僕は自分のことを凡人でまともで普通だと思っている。
僕は小さな虫ケラ同然で、どこにでも僕みたいなやつなんていて、
ありきたりの有象無象だと思っていた。
今まではその事実に嫌気がさすことの方が多かったけれど、
最近はそのことに快感を覚えるようになってきた。

自転車で駆け下りながら大好きなあの歌を歌ったって、
世界の主人公なんかじゃないんだぜ。

 

僕は生活が好きだ。
洗濯や掃除や洗い物、犬の散歩。

そう言えば星野源はエッセイの中で生活が嫌いだと言っていた。
僕は星野源が好きだ。
星野源は僕を知らない。

なんてことだ。
なんてすれ違いだ。

 

憧れの松の虫よ。
あなたはいつも隙だらけで、そんな君に魅せられた僕だけど、
あなたの愛はいつも一つだけを見ていて僕が入る隙間なんてないんだ。

(愛する君代さんとthe caves)

「世界が愛と優しさでまわっていますように」
と口に出してみた。
なんとなく言ってみたんだけど、
「まわりますように」ではなかった。

(大切な家族)