ローカル活動、グローバル報告

はい!昨日はブログやFacebookで事前にお伝えしていたように、たこ焼きてらやとSTUDIO GREENGREENを巽東で営んでいるたまさんに誘われて、「ティピ」さんでハンドパンの演奏をしてきました!!このたこ焼き屋さんと音楽スタジオは大阪府大阪市生野区巽東4-4-31にあるので、お近くの方は本当に一度行って欲しい!めちゃくちゃ美味しいたこ焼きが食べれることを保証します!!この宣伝をしても誰からも僕はお金をもらってないので、安心して食べて下さい。ここは食べログサイトじゃないので。笑   僕の純度100%のオススメなので、住所まで載せました。笑

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久しぶりに、25分という時間をもらって、20~30人の人が見てくれている前で演奏をしたんですが、緊張しますね。笑 まずは簡単にハンドパンの説明と、僕がストリートをしていることやゴミドラムのことをお話させてもらいましたが、静かに座って聞いてくれる人がいるとついつい喋り過ぎちゃいました。笑

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そしてその後はストリートと同じように、即興1本勝負!僕にとっては一秒も一瞬も気が抜けない、頭と身体と気が向くままにどこに向かうのか誰も知らない演奏です。そしてそれは、昨日のあの場所で、あの空間であの時間じゃないと生み出せないものなんです。だから僕はいつもライブが終わると汗だくになって、みんなが思っている以上に疲弊します。笑

とても小さいことからだけど、こうやって20~30人っていう人が集まって僕の話と演奏を聞いてくれるっていうのは、今の僕の力じゃストリートでは出来ないこと。だから、丁寧に話して、一人でも多くの人がハンドパンっていう楽器の存在とストリートパフォーマンスという活動のことや、打楽器の面白さを知ってくれるととても嬉しいです!!

昨日、一組目に出ていた15歳と16歳の女の子のユニットをしていた子が、「この楽器をたまたまyoutubeで見つけてすごくいい音だなと思っていたときに、色々漁っていて、SHUさんの映像もyoutubeで見ました!その人が今日出ていたのでとてもびっくりしました!」と言ってくれました!ビックリしたのはこっちだよ!!笑 まさか昨日出会えた人(しかも15歳の女の子!)がたまたま僕の映像を見てくれていたなんて!自分のやっている活動が誰かに影響を与えることが出来ているということを目に見える形で教えてくれました。ありがとう。僕はとても嬉しかった。

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そして昨日は初めての試みですが、写真で見て分かるように、足になんかカラカラ鳴る楽器を巻きつけてハンドパンと一緒に演奏しました!笑

動画もまたyoutubeを通してアップしますので、是非見てください!

ということで、またこういった機会があれば是非出たいので、面白いこと考えている人、一枚噛ませて下さい!!笑

 

トンボ、蜘蛛、夕焼け

8/22~24にかけて二回目となる熊本に行って、お手伝いをしてきました!

今回は、地震によって家の基盤がズレたおうちに伺い、ズレによって生じた隙間をセメントみたいな砂で埋めたり、土地が雑草でボーボーに伸びた場所の草刈りをしたりしました。砂と水で家の地盤を固める作業も、草刈機を使ったのも人生初めてで、とても楽しく貴重な体験をすることが出来ました!

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そして、益城という熊本地震の震源地であり、古い家も多かったことから被害がとても大きかった場所に今回も行ってみましたが、状況はあまり変わっていないようでした。

前回行ったのは4/28ぐらいだったから、ほぼ4ヶ月。季節を一つ進めて、蜘蛛が大きくて立派な家を建てることが出来て、土砂崩れ防止の大きな砂袋からは草が強く生えるぐらいの時が経っていたけど、壊れた家は今もそのままだった。まるで秋の夕暮れみたいな真っ赤な空の中をたくさんのトンボが飛んでいた。壊れた家々が並ぶ通りを自転車に乗って女子中学生が笑いながら駆けていく。僕の戸惑いは以前と変わらずあるけれど、前回のように手付かずではなく、行政が行き届かない一人一人の、一軒一軒の悩みを少しずつ数と力で解決していく。僕の悩みや、熊本の人たちの悩みとは無関係に季節は進み、自然は自分の力をのびのびと解放する。蜘蛛が巣を張ることも、季節が進むことも自然なら、地震も自然。不自然なのは僕たちの方かもしれない。そんなことを考えたりもした。

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それでも人が生きていくためには、ご飯も作らなくちゃいけないし、屋根がある寝床もないといけない。悩みは尽きないし、問題は山積み。僕が行かないといけない場所ではないかもしれないけど、僕の目を通して見た情報を、僕の言葉で話すことによって、一人でも多くの人がまだ興味を持ってくれたら、そこから少しずつ何かは変わると信じて。でも忘れちゃいけないのは、困っている人は熊本じゃなくてもたくさんいるっていうこと。あなたのすぐ近くにも意外といるものなんです。

今回は、知り合いに紹介してもらって森さんという方とお話しをすることが出来た。この人は僕が大阪で動かしたい活動を熊本で手伝っている人。どんな活動かはまた僕がもう少し体を動かして頭を使ってからお伝えします。笑

美味しいご飯を食べれて、初めての体験をして、豊かな自然を見れて、会いたかった人に会えて、共通の苦悩を持つ人に会えた、そんな素晴らしいこと尽くしの今回の熊本でした!

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26歳、『飛ぶ教室』。

ありがたいことに今日で、僕は26歳になりました!!これまでどうだったとか、これからどうしていこうとかは特にありません。笑 僕はこれまで通り、誕生日だからって何か変わるかと言えばそうでもないし、「何にもない日」にある日突然180度方向転換するかもしれませんが、一つの区切りとして、これからもよろしくお願いしますとだけ言わせて下さい!

そんな僕はこの1週間ほどで、ある一冊の本を3回読み直しました。それは、エーリヒ・ケストナーという児童文学でよく知られるドイツ人作家が1933年に発表した『飛ぶ教室』という本です。以前からタイトルだけは知っていて、「素敵なタイトルだな」とは思っていたし、日本でも舞台や映画や漫画で同じタイトルのものが付けられているのを多く見るので、さぞかし古典的名作なんだろうとは薄々感じていました。笑 でもお恥ずかしい話、つい最近初めて読んだのです。笑

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簡単にあらすじを説明すると、ドイツの寄宿舎学校に通う(住み込みだからこの表現はおかしいか笑)、5年生(日本では14~15歳ぐらい)の男の子5人が主役で、クリスマスまでの数日間に彼らの身の回りで起きる「事件」という名の「日常」を描いたお話です。それにしても素晴らしかった。あまりにも良かったのですぐに何回も読み直したのですが、3回読んでも同じ所で泣きそうになる。僕はいつも、「子供のときのあの、世界が新鮮で驚きに満ち溢れている感じは絶対に忘れちゃダメだ」って思っているのですが、それでも忘れていたことがあった。子供のときって、今思えば笑えるようなことにも、めちゃくちゃ本気だった。今よりもずっと全てのことに対して本気だった。鬼ごっこにも、ケードロにも、缶けりにも、たかおににも、嫌なことを嫌と子どもなりの理論で反抗することにも、映画を見に友だちと少し遠出をするのにも。それがこの本の中にとてもたくさん書かれていて、思い出した。

『おもちゃが壊れたので泣くとか、長じて友だちをなくしたとか、その手のことはしょせんはどうでもいいことだ。人生に大切なのは、何を悲しんだかではなくて、どれほど深く悲しんだかということなのだ。神かけて言うが、子どもの涙が大人の涙よりも小さいなんてことはなく、しばしばずっと重いものだ。世の方々よ、誤解しないでいただきたい!ことさらおセンチなのがいいなどと申しているのではない。たとえつらくとも正直であってほしいのだ。骨の髄まで正直であってほしいのだ。』(『飛ぶ教室』より)

あとは忘れているつもりはなかったけど、こんな風に言える大人が何人いるんだろうと思うと、少しだけ切なくなるセリフ。先生がクリスマス休暇前の集会で生徒達に語りかける場面。僕だって自信満々には子どもたちにこんなこと言えない。子どもたちが忘れないのは、言葉か、眼差しか。

「『ねがわくは消えてほしくないいまのこの時に、きみたちに要望したい。幼いころを忘れるな!きみたちはまだ幼いのですから、よけいなお世話のように聞こえるかもしれないが、よけいなお世話ではないのです。どうか私たちを信じてほしい!年をとりましたが、にもかかわらず私たちは若いままなのです。ふたりとも、そのことがよくわかる!』ドクター・ベクとドクター・ウトーフトはたがいを見つめ合った。幼い者たちはその眼差しを、決して忘れないと心に誓った。」(『飛ぶ教室』より)

26歳。今のところ僕の人生の方向に狂いはないし、何だったら最初から決まった道もない。この年齢をきっかけに何かが変わるわけでもないけど、このタイミングでこの本に出会えたことは何かの必然かもしれない。

この考えは僕の為に

みなさんは、友達とご飯を食べる時、何を食べたいか決める派ですか?それとも相手が決めた場所についていく派ですか?僕は断然でついていく派です!!笑 なんというか、ご飯を食べることってもちろんお腹が空いてたら好きだけど、「何を食べたいか」という僕の欲求に対して、あまりにも選択肢がありすぎるんですよね。笑 だから、何でもいいからお店は決めてもらってその中から一番食べたいものを選ぶぐらいが僕には丁度良いんです。笑 あ、ちなみに言うと食べる場所は決めてもらってもいいんですが、絶対譲れないのは「ご飯を食べるために何十分も並ぶこと」を避けることです。こればっかりはすごく嫌いです。笑

関連するようでしないような話ですが、僕は普段からなるべく二極化を避けるように心がけています。人によっては「どっちつかずだ」とか「ハッキリしないやつだ」とか思われるかもしれませんが、まあそれはどうでもいいです。笑 とにかく、自分にとって「絶対これは譲れない!!」と思うこと以外の判断は僕じゃない誰かが決めたものでいいと思っています。だからご飯も決めれない。笑

例えば「お金」の話。僕は「お金」について、何人かに説明したけどイマイチ誰もピンと来なくて、でも自分の中では確信的に信じていることがあります。笑 それは『僕自身はお金はいらない、でも僕が何かをしようとする時に世間が僕にお金を要求してくるから、僕はお金を持っているし必要としている』ということです。分かりますでしょうか?笑 「え?最初にいらないとか言っときながら最後にお金必要って言ってるじゃん!矛盾してるじゃん!」って思いますか? いや、そりゃお金はいるよ!?今の日本で自立して生きていこうとすればね!でも僕は物々交換の時代に生まれたかったとか、自給自足で生活したいとか言ってるんじゃないんです!ただ、僕が「お金」というもの自体を欲しがっているかと言うと、それは違う。でも僕が何でもしようとする度に、世の中が「じゃあお金払って」って言うからお金を持ってるんです。笑 ……分かりました、ハッキリと、何の恥じらいもなく認めます。これは矛盾してます。笑 でも、矛盾したらダメって決まりなんかないしね、むしろ矛盾を抱えずに右か左かだけで生きている人なんていないでしょ?笑 それにこれは僕を納得させるための僕のロジックだから、否定せずに、「変な人」ぐらいに止めて下さい。笑

もう一つ、僕が考えていることは「生きる」ということ。僕はもちろん死にたくないって思っているけど、もし死ぬ瞬間が来たら出来るだけ受け入れて笑顔で、と考えています。実際にそのときが来たらそんな覚悟なんてなくなっちゃうのかもしれないけど。死なないように悪あがきはするかもしれない、でも本当の最後の瞬間は全て受け入れることが出来る人でありたい。僕は本当に毎日毎日、明確に「死ぬこと」について考えて、そこから生きている実感を得ています。変な表現だけど、「死にたがりの生きたがり」って感じです。ポジティブに死ぬことを毎日考えて、だからこそ生きていることについてよりハッキリとした意志が見える。これも矛盾を抱えたまま、僕が僕のために作った僕のロジック。

まあ、理解者も共感者も欲しいなんて言わないし、広めたいとも言わないけど、否定はしないでほしいな。笑 そんな僕の僕による僕のための、僕なりに世の中と上手く付き合っていくためのロジックの話。

言葉にならないぐちゃぐちゃを、とりあえず「ありがとう」という言葉で

またまたバンドの話になってしまいますが、そのことも含めて色々お話を!

昨日は僕がやっているバンド、DAMの初ライブから丁度10年目をお祝いするワンマンライブを行いました!大阪はアメ村にあるCLAPPERというライブハウスで、メンバー全員ステージではなくフロアでライブをして、お客さんは360度好きな位置から見ることが出来るという楽しいものでした!

今までもたくさんの人が僕たちを助けてくれたことは以前のブログに書きましたが、(まだ読んでない方は『10年』を見てください!)昨日について言えば、いつも僕らのわがままを最大限に理解して協力してくれるCLAPPERという最高のライブハウスと店長福さんを始めとするスタッフの方々、10周年ワンマンに合わせてコラボデザインTシャツを作ってくれたRIP DESIGN WORXXというイカしたファッションブランドのなおやさん、ジャケット型パッチを作ってくれたガナリヤ、サイレントニクスのたいちゃん、フライヤーをデザインしてくれた加藤、レコーディングをしてくれたSTUDIO COOPERの永田さん、もちろん来てくれた皆さん、来れないのを悔やんでメッセージやSNS上に書いてくれた人たち、えっと、あと誰か忘れてないかな。こうやって具体的に書くと誰か忘れてると失礼だから緊張するよね。笑 ありがとうございました!!

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ハンドパンという楽器を手に入れて、ゴミドラムと共にストリートパフォーマンスを始めたとき、僕は自身のバンド活動とは全く別物にしようと最初思っていました。なぜなら、とても過激で失礼な言い方をすればこの活動は僕にとって「ライブハウスとの決別」だったからです。音楽って楽しいし、生の音楽はとても魅力的なのに、ライブハウスという場所はある意味では「人を選んでる」から。だから僕は一人で街中に飛び出すことにした。でも、昨日来てくれた人の中には、ストリートを通じて友達になって来てくれた人もたくさんいたし、逆にずっと僕のバンドを好きでいてくれてる人が「そういえばストリートはいつどこでやってるんですか?見に行きたいです!」って言ってくれる人もいました。だから、これはみんなが僕に気付かせてくれたことだけど、どっちもしっかり活動をして、ハンドパンやゴミドラムをストリートで一人で演奏する僕も、バンドでライブハウスのステージに立つ僕もしっちゃかめっちゃかにして色んな人や感情や場所がクロスしていって、ウネウネとモヤモヤと言葉にならないうねりや歪みが出来て、一つのムーブメントになればいいなと思います。

あ〜、なんかまだ上手く言葉に出来ないな〜。ありがとうだけじゃ伝わらない思いがたくさんあるんだよ!でも、言葉に出来ないっていいよね。だから僕は直接人に会って、目を見て話をして、握手をして、ハグをして、色んな仕草をつぶさに見ることが好きだ。

とりあえず、SNSからの拾いもんの写真を何枚か!昨日はカメラマンも入っていたので、別の形で多分すごい写真をまた今度あげます!まだまだ、バンドもライブハウスもハンドパンもゴミドラムもストリートパフォーマンスも続くぜ!!そんな気分!笑

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昨日は終わってから先輩の家にお泊まりさせて頂いて爆睡しましたとさ。笑

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流れ者、流れ星

昨日の夜に不思議なお兄さんに会った。僕が扇町公園でゴミドラムの練習をしていると近づいてきて話しかけてくれた人。パッと見た感じでは40歳ぐらい(この僕の予想は後の会話でほぼ当たりだったことが分かる)。旅人にも、ホームレスにも見えなくない(この予想も当たりだった笑)。 なんやかんやややこしいことがあって地元を「逃げ出した」(お兄さんは「正直に言えば半分は逃げたんだ」と自白するように言った)お兄さんは、今は全国を転々として、ネカフェや野宿をしながら路上詩人として稼いでいるらしい。ちなみに40過ぎの人を『お兄さん』と呼ぶのが正しいのか分からないけど、『おじさん』と呼ぶと距離が出来てしまいそうなので、お互いに『お兄さん』と呼び合っていた。

今はまだ大阪にいようと思っていることや、僕の人生計画のこと、ストリートでの苦労話や、お兄さんの過去から現在への話、病気のこと、寿命のこと、とにかくよく話す人だったけど、とても楽しかった。扇町公園の道のど真ん中で、汚い格好してスーツケースを引っ張る人間が1時間半も立ち話したんだから、色々話せたよ。笑 話している途中で流れ星を見た。緑とオレンジの尾を引きながらとても近くに感じるほど低飛行で急に現れて消えていったあれは本当に流れ星だったんでしょうか。UFOでも嬉しいな。

お兄さんに言わせれば僕は、まだ初心を忘れずに自分の好きなことをしっかり好きだと思えてやれているらしい。そして僕のような考え方は珍しく、立派で、成功する要因を十分に持っているみたいです。笑 「自分のことは間違えてばっかりだけど、人の評価は間違えたことないから大丈夫!」って言ってくれたので信じることにします。

最後に別れ際、お兄さんと握手をしたのだけど、10年以上も地元を離れて全国を廻りながら路上でお金を稼ぎ、ときには路上で寝ている人とは思えないほど、あったかくて、柔らかい手だった。そのとき、お兄さんが何を大事にして、何を捨て、何を得て生きてきたのか少しだけ分かったような気がした。

あのお兄さんは昨夜どこで寝たんだろう。そんな、流れ星みたいな生活をしているお兄さんに会った不思議な夜の話。

パスタの適温、人の適温

僕はパスタがとても好きです。『もしこの先一カ国の料理しか食べられないとしたら?』という、あの『宝くじで3億円当たったらどう使う?』と同じくらい無意味で、普段何を考えているのかを試される質問では本気で日本かイタリアで迷うぐらいパスタもピザも好きです。(ちなみにこの答えはまだ悩みかねています。笑) これは母の影響も強くて、特にナポリピザが好きな母は美味しそうなお店を見つけては昔から僕を連れ出してくれました。

そんな僕がここ6~7年ほど考えていることは、「パスタの適温」です。笑 これは僕にとってすごく難しい問題です。茹でたてを熱々のソースに絡めてすぐに提示されるようじゃ、熱くてとても食べられないし味も分からない。もちろん冷めても美味しくない。うどんやそばのように汁があるわけでもないし、ソースはパスタに絡みついて味を出すペーストだから、熱い=良いではない。僕がパスタをフォークで掬って、息を吹きかける必要もなく、「お皿の上に盛られたパスタからフォークで巻き取られて僕の口へと移動する過程」で少し冷め、それを口に運んだ時に口の中で気持ちの良い温かさを感じる温度が僕は好きです。そんな僕の欲求を満たしてくれるようなお店、誰か知りませんか?笑

同じように僕が考えるのは『人の適温』。というよりは『人と人が接するときの適温』でしょうか。誰かと二人で話すとき、おそらく無意識のうちに一方が他方に合わせているその温度。1対1ならまだ分かるけど、グループになると僕は駄目だ。色んな温度のパスタを一度に出されたみたいになる。笑 「自分は自分だからそんなの関係なくない?いつでもそのままで居たらいいじゃん」っていう人も、絶対に、(この世に『絶対』なんてない前提の上で、語彙力のなさからこの言葉を使うけど)絶対に人によって温度を変えています。

そしてストリートに出るとき、僕はいつもそれを気にかけています。立ち止まる人の温度、過ぎ去る人の温度、少し遠くから聞こえるはずの僕の音に耳を傾けてくれる人の温度、僕の温度。それらをなるべくつぶさに感じ分けて、どの人の体にも気持ちの良い温度で染み込む演奏が出来たらどんなにいいだろうといつも思っています。普遍的で、言語の壁を超えることが出来るはずの音楽で、熱く響き、冷たく胸を締め付け、心を躍らせ、肌で感じることが出来る演奏が出来れば少しは誰かの為になるのでしょうか。

今日見た映画は、瀬戸内寂聴原作の『花芯』。これについてはまた書けたらいいな。また結論があやふやになったから、締めはこの映画で逃げます。笑

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夢と驚きと日常と

みなさんの毎日はどんな風に過ぎていってるのでしょうか?もちろん千差万別、十人十色でしょう。「今日も仕事で吐き気がする」「大学、今日はサボろう」「学校に行けば今日もあの娘の横顔が見れる」「毎日充実してるぜ」「今日ものんびりと始めていこう」などなど。でもこんなのは僕が思い描いた想像のものだから、実際は知らないけど、まあ色々あるんですよね、きっと!笑 いつも言っていますが、ここでは僕は僕の話をします!!笑 僕は毎日、「今日はどんな驚きに出会えるだろう」ってワクワクしています!

遊園地に行ってジェットコースターに乗る興奮、ディズニーランドに行って夢と魔法の世界に浸ること、本を読んで活字の向こうに見える僕の知らない誰かの人生を隣で過ごすこと、印象派の絵画を見て僕が見たことがない景色を「その人の目で見た景色」から僕が見ること、映画を観て僕が知らない世界を眼前に写し出してくれる中に存在すること、音楽を聞いて初めて乗る音符の波に溺れたり、よく知った波に上手に乗ること、夏休み中の小学生がワンピースの話をしながら歩いていること、『小学校の教科書のさし絵で見たような 雨が降りそうで降らない暗くて明るい空』に出会うこと、可愛い女の人とすれ違うこと、昔の友達に久しぶりに会ったとき、自分が大人になったことを自覚させられること、ストリートライブをしていて話しかけてくれた人が、もしあの時あの場所で僕がストリートライブをしていなかったら絶対に交わらないような人だったこと。そんな風に僕は毎日たくさんの刺激と驚きの中で生きていて、夢みたいなスピードで夢を叶えて幸せを享受しながら現実を飄々と生きています!笑

きゃりーぱみゅぱみゅのことはあんまり知らないけど、少し前にauのCMで使われてた曲の一節がとても好きで共感出来ます。『驚きが日常に(チュクキーン‼︎‼︎)』。笑 はい、ぱみゅぱみゅの、あるいは中田ヤスタカにシンパシーを受ける25歳です。笑

もらってばかりじゃ破裂しそうなので、僕も誰かにとっての驚きでありたくて、色々なところでストリートライブをしています。逆に僕が驚きをもらうことも多々ありますが、誰かも僕を見て一日の刺激の中の一つなればとても嬉しく思います!ということで、今から久しぶりにゴミドラムの練習をしに扇町公園に行こうかな!もし会えたらお話しましょう!練習のつもりで行くから告知はしないので、会えたらそれこそ「驚き」ですね。笑

写真はこないだUSJに行ったときにチャーリーブラウンに会って、「ずっと好きでした。ファンです。」と言って握手をしてもらいハグをしてもらったときの写真です!チャーリーブラウン、君は僕のヒーローで、先生で、大切な友人だよ!!それにしても、純粋なつもりなのに、ヒゲだしサングラスだし、なんだか僕悪そうな顔してるな〜。笑

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