前回のブログ『ニュー・シネマ・パラダイス』は、実に半年ぶりの更新だった。
その前に書いた東京ツアーのブログ『贅沢な雑記として。』。
それから戻ってきた後は怒涛のような半年間だった。
オーストラリアツアーがあり、
(オーストラリアツアーに関しては、
Instagramアカウントにて毎日リアルタイムで更新をしていました!!!
もしよろしければ、Instagramにて”shuhandpan”をフォローの上、
「#australiadiary」でブログを読んだり、
ストーリーズのアーカイブをお楽しみ下さい!!)
世界の仕組みを丸々アップデートしてしまうようなパンデミックがあり、
楽しみにしていた音楽イベントがなくなり、
新しい楽しみ方と穏やかに過ごさざるを得ない日常の中で、
隠れていた次の生き方を模索し、変わろうともがき、変わらないものを愛した。
その後は、素敵なイベントにいくつか出演をして、
新しい出会いと価値観の中で生まれ続ける新しい自分と変わらない自分の狭間を
揺れながら楽しんだ。
(2020/5/30 Live at たいよう Photo by オモタニカオリ)
(2020/6/14 BOTAFES みんなのお花見プロジェクト収録)
本来なら、一つ一つがブログに書けたことなのに、
何一つとして形にならなかった。
そんな日々の中でも変わらず文章は書き続けていたけれど、
ブログという形でアップをすることが少しずつ怖くなっていった。
書くことに飽きたのではなく、書きたい衝動と書かなければいけない焦燥の中で
書くことが出来なかった。
そして、エンニオ・モリコーネの死を受けて、改めて考えてみた。
僕が音楽を作ることと、文章を作ることについての関係性を。
関係性がないということを。
音楽にしたい生活も、ブログにしたい生活もある。
どちらにもなる生活も、どちらにもならない生活もある。
どちらかがスムーズに進んで、どちらかが立ち止まったり、
どちらも「ダメだこりゃ」となったり
どちらも最高速度をキープしたり。
脳みその使い分けも時間帯による棲み分けも
刺激の強弱による振り幅もない。
まだハッキリと理解出来ていないだけかもしれないけど、
どちらも「なんとなく」という言葉がしっくりとくる。
(2020/7/4 Live at 桜ノ宮foodscape!storeにて)
僕は自分のことを凡人でまともで普通だと思っている。
僕は小さな虫ケラ同然で、どこにでも僕みたいなやつなんていて、
ありきたりの有象無象だと思っていた。
今まではその事実に嫌気がさすことの方が多かったけれど、
最近はそのことに快感を覚えるようになってきた。
自転車で駆け下りながら大好きなあの歌を歌ったって、
世界の主人公なんかじゃないんだぜ。
僕は生活が好きだ。
洗濯や掃除や洗い物、犬の散歩。
そう言えば星野源はエッセイの中で生活が嫌いだと言っていた。
僕は星野源が好きだ。
星野源は僕を知らない。
なんてことだ。
なんてすれ違いだ。
憧れの松の虫よ。
あなたはいつも隙だらけで、そんな君に魅せられた僕だけど、
あなたの愛はいつも一つだけを見ていて僕が入る隙間なんてないんだ。
「世界が愛と優しさでまわっていますように」
と口に出してみた。
なんとなく言ってみたんだけど、
「まわりますように」ではなかった。