モリコーネへの旅

一本の映画を見に行く。

京都の山奥から車を走らせ30分かけて最寄駅へ行き、
京都駅から新幹線で新山口へ。

ところで改めて考えると、
僕は新幹線があまり好きではない。

色んな事情で新幹線に乗る事はあるし、
どこか遠くへ自分の身体を運んでくれる乗り物だから、
今までは飛行機みたいにワクワクする好きな乗り物だと
勝手に枠組みを決めてそこに押し込んでいたのだけれど。

そういえば新幹線に乗るときは、
ご飯にコーヒーにお菓子に本は2冊ほど、
そしてヘッドホンと自分で持ち込める楽しみを万全に準備していく。

速度は速すぎるし
周りの人たちは疲れた顔をしている人も多い印象がある。

新幹線自体に(当たり前かもしれないけど)
僕が僕であるための余白がないんだ。

その反動もあってか、
新山口から在来線に乗り換えたときはそれはもう気持ち良かった。

赤い二両編成のワンマン電車がトコトコと自信なさげにやってきて、
ゆっくりな割に大きな音を立てて走ってゆく。

民家も山も近いから、扉が開いたときの風は気持ち良いし
親近感のようなものも湧く。

もしこの電車が道を間違えたとしても
(まさにレールの上を走る人生だからそんな事はないだろうけど)、
僕はきっと許してしまう。

そんな愛らしさがある。

湯田温泉駅に着いてしばらく歩くと中原中也記念館があった。

どうやらここが彼の生誕地らしい。
せっかくだから寄ってみる。

生で書かれた当時の原稿は少し読みにくいけど、
印刷されたものの校正前であったりするから面白い。

そして、ようやく目的地の山口情報芸術センターへ。

今回は、映画

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を

見る為にここまで来たんだ。

もちろん、ここでしかやっていない訳ではないけど、
いくらモリコーネが好きだからと言って常にチェックしてる訳でもなく、
ましてや今の田舎暮らしの中で最新の映画をチェックする習慣が
無くなってしまい公開に気が付かなかった。

たまたまSNSで発見した時には、すでに関西圏での公開は終了していて、
東京か山口ならなんとか間に合うと思って、山口にした。

 

一本の映画を見る為に、京都の山奥から山口に?
車で駅まで行って、在来線で京都駅
そこから新幹線で新山口駅
さらに在来線で最寄駅まで行って
さらに歩いて20分かけて?

 

うん、馬鹿げてるのかもしれないな。

でも、それにかかった時間もお金もどうでも良かった。

公開を知ってしまった瞬間から、
それを観に行く事は僕の中で決定していたから。

今回の映画について、
全然自分が通ぶってる訳でもないし
(むしろモリコーネについて知らない事だらけだと今回分かった)
とても有名な方なのですが、映画の内容とともに少し説明を。

エンニオ・モリコーネというとても偉大な映画音楽家がいて、
2020年に91歳で亡くなってしまったのだけど、
今回の映画は彼を5年間に渡る自他インタビューや関わった作品と
共に紐解くドキュメンタリーです。

僕にとっての代表作は
『ニュー・シネマ・パラダイス』で、
今回のドキュメンタリーを撮ったのも同監督、ジュゼッペ・トルナトーレ。

『ジュラシックパーク』や『スターウォーズ』で知られる
ジョン・ウィリアムズも、
ディズニー映画といえば!のアラン・メンケンも大好きだけど、
『ニュー・シネマ・パラダイス』は
僕の中では特別で、別の意味を持つ。

 

この映画に、この音楽に、
何度も泣かされて何度も救われた。

聴いたことがないくらい美しくて完璧なメロディーラインとハーモニーが
決して映画を上回る事なく、だけどそれなしでは語れない伴走者として
登場人物の心情とマッチする。

セリフ・役者の演技・風景・カメラワークの
どれでも補えない心の部分をこの音楽が完璧に表している。

そんな、
僕にとって憧れでもあり血肉でもある
モリコーネのドキュメンタリー。

ミニシアターでしか上映されず、DVD化の保証はない。

山口県で良かったよ。
後から知る方が何倍もつらかった。

 

内容に触れるようなものではないけど、
上映中は心の中で4回号泣しました。笑

あえて言うなら、パンフレットの中で
監督のジュゼッペ・トルナトーレが触れていた
”彼の死を予期して作り始めたドキュメンタリーではないから、
死後完成したとは言え過去形で語らないようにした”

という狙いはまさに気持ち良くハマっていて、

エンドロールの時に、
「あぁ、もうこの世にいないんだな」とふと思い出してしまったのが、
最後の泣き所でした。

本当に観に行けて良かった。

今回の旅の感謝は、家族に。
突然の日帰り旅を快諾してくれた
はるかと織とお米へ。

ありがとう。

不恰好

最近、自分が音楽をやっている理由というのか、
意味というのか、そんなものの片鱗が少しずつ分かってきた。

幼少期からクラシックピアノを習っていて、
中学校で吹奏楽部に入り、
中学生の終わり頃からバンド活動を始めて
今のハンドパン奏者に至るまで、
気がつけばずっと楽器を触っている人生な気がするけど、
自分にとってそれは“諦めに近い怠惰”であるのかもしれないと思い、
そんな人間が音楽を続けていて良いものかと悩んだ時期もあった。

ハンドパンに出会って、その音色とスタイルが持つ可能性に惹かれて
今はありがたい事に多くのイベントに呼んでもらったり、
楽曲提供をしている中で、
自分が音楽をしている意味について考える。

そして、この疑問の源流は二つの川に分かれる。

一つ目の流れは、”言葉に出来ない事が多すぎる”から。

僕にとっていつも言葉は多すぎるか足りないかで、
誰かとの(あるいは自分との)対話において的確な言葉の数と質で応える事は
僕にとって本当に難しい。

その意味は時々で変容し、あるいは擬態する。

村上春樹のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
という本のタイトルのように、
僕にとって美しい音楽とは一音の中で雄弁に語り、
一音の中に宇宙の静寂を持ち、
誰も彼もなくてただ一つであったと思い出すような音楽があれば、
それを共有することが出来れば僕にとって対話は必要がなくなる。

例えば、ドフトエフスキーだったかな、
有名な言葉で『一枚の葉っぱの中にも宇宙がある』という台詞があるのだけど、
(本当に冗談なしに)僕は中学生の時に、
ドフトエフスキーを読むよりも前にこれと全く同じ感覚を知ったんだ。

一枚の葉っぱが日光に透けてその葉脈が巡る様を見て、
「あぁ、これが全てなんだな」と感じた。

その感覚が音楽の中にあれば良いなといつも思う。

そして二つ目は”僕の心が枯れそうな時に求める音楽は僕が作るしかない”から。

世の中にはたくさん、それはもう本当にたくさん、
美しい音楽に溢れているけれど、
僕が心から求めている音楽は僕の頭の中にしか流れていなくて、
それをどうにかアウトプットしたいんだ。

その挑戦こそが原動力なんだ。

美しくて
矛盾していて
ぐちゃぐちゃで
呆気なくて
可愛げがあって
全てがある場所

そんな所に自分を連れて行ってくれる音楽を僕は僕のために作りたい。

ブルーハーツのように衝撃的で
ブライアンイーノのように身体に馴染み
『ニュー・シネマ・パラダイス』のエンニオモリコーネのように美しくて
ビル・エヴァンスのように人間臭い。

本当は誰のためでもなくて、
本当に誰のためでもなくて、
天気の良い日にふと出てきた鼻歌のようで、
自分の鼓動や肌の感覚に近いもの。

そんな音楽を。

なんかカッコつけたみたいな文章だけど、
あるいはいつかの自分へのメッセージとして。

だから僕は今日も不恰好に音楽を作っています。

旅と日常。

ついに2年と少し住んだ家を引っ越しました!!

大阪・谷町六丁目という最高のタウンでした。

結婚して初めて2人で選んだ家。
お米を迎えた家。

hoffmaやLP Kitchenといった
最高のお店と人々に出会えた家。

家の前の大きな木の下で、
隣のおばあちゃんと何度も何度も、
ほとんど毎日話をした。

“きょうはさむいね~。”
“寒いと布団から出れないね。”
“この時期になると落ち葉がたくさんで
掃除が大変だからほどほどにしないと
キリがないね。”

“何の本を読んでるの?”
“暑いけど、この木の下は涼しいね。”

“良いお年を。”
“あけましておめでとう。
今年もよろしくね。”

おばあちゃんの娘さんと息子さんの話。
亡くなった旦那さんの話。
亡くなった旦那さんのお姉さんの話。
おばあちゃんの兄妹の話。
田舎の話。
この家の前の道がまだ舗装されていなかった時の話。
猫獲り籠に捕まった飼い猫の話。
大きな木の話。

 

始めは単なるお隣さんだったのに、
気がつけば毎日話をして
お漬物をもらったり
何かをお裾分けしたり
本を貸したり本を借りたり。

高い枝を切るのを手伝ったり
綺麗な椿を切ってもらったり。

そんなおばあちゃんは
僕たちの引っ越しが近づいてバタバタすると、
「いよいよやねぇ~、寂しくなるわ。」
って毎日言ってたんだ。

その度に、
「まだいるよ!!明日も会えるよ!!」
なんて言ってたけど、ついに
「そうだね、いよいよだね」なんてさ。

 

僕もおばあちゃんも泣きそうだった。

30歳と86歳。

正真正銘に孫とおばあちゃんぐらい

歳の離れた僕らは

紛れもなく友達だ。

お願いだから、長生きしてよね。

生活

前回のブログ『ニュー・シネマ・パラダイス』は、実に半年ぶりの更新だった。

その前に書いた東京ツアーのブログ『贅沢な雑記として。』
それから戻ってきた後は怒涛のような半年間だった。

(MV作成中の一枚)

オーストラリアツアーがあり、
(オーストラリアツアーに関しては、
Instagramアカウントにて毎日リアルタイムで更新をしていました!!!
もしよろしければ、Instagramにて”shuhandpan”をフォローの上、
「#australiadiary」でブログを読んだり、
ストーリーズのアーカイブをお楽しみ下さい!!)
世界の仕組みを丸々アップデートしてしまうようなパンデミックがあり、
楽しみにしていた音楽イベントがなくなり、
新しい楽しみ方と穏やかに過ごさざるを得ない日常の中で、
隠れていた次の生き方を模索し、変わろうともがき、変わらないものを愛した。

(オーストラリアにて)

(日常)

その後は、素敵なイベントにいくつか出演をして、
新しい出会いと価値観の中で生まれ続ける新しい自分と変わらない自分の狭間を
揺れながら楽しんだ。

(2020/2/16 Live at LPキッチン)

(2020/5/30 Live at たいよう Photo by オモタニカオリ)

(2020/6/14 BOTAFES みんなのお花見プロジェクト収録)

 

本来なら、一つ一つがブログに書けたことなのに、
何一つとして形にならなかった。

そんな日々の中でも変わらず文章は書き続けていたけれど、
ブログという形でアップをすることが少しずつ怖くなっていった。

書くことに飽きたのではなく、書きたい衝動と書かなければいけない焦燥の中で
書くことが出来なかった。

(2020/7/5 Live at FATAPIAにて)

そして、エンニオ・モリコーネの死を受けて、改めて考えてみた。
僕が音楽を作ることと、文章を作ることについての関係性を。
関係性がないということを。
音楽にしたい生活も、ブログにしたい生活もある。
どちらにもなる生活も、どちらにもならない生活もある。
どちらかがスムーズに進んで、どちらかが立ち止まったり、
どちらも「ダメだこりゃ」となったり
どちらも最高速度をキープしたり。

脳みその使い分けも時間帯による棲み分けも
刺激の強弱による振り幅もない。

まだハッキリと理解出来ていないだけかもしれないけど、
どちらも「なんとなく」という言葉がしっくりとくる。

(2020/7/4 Live at 桜ノ宮foodscape!storeにて)

僕は自分のことを凡人でまともで普通だと思っている。
僕は小さな虫ケラ同然で、どこにでも僕みたいなやつなんていて、
ありきたりの有象無象だと思っていた。
今まではその事実に嫌気がさすことの方が多かったけれど、
最近はそのことに快感を覚えるようになってきた。

自転車で駆け下りながら大好きなあの歌を歌ったって、
世界の主人公なんかじゃないんだぜ。

 

僕は生活が好きだ。
洗濯や掃除や洗い物、犬の散歩。

そう言えば星野源はエッセイの中で生活が嫌いだと言っていた。
僕は星野源が好きだ。
星野源は僕を知らない。

なんてことだ。
なんてすれ違いだ。

 

憧れの松の虫よ。
あなたはいつも隙だらけで、そんな君に魅せられた僕だけど、
あなたの愛はいつも一つだけを見ていて僕が入る隙間なんてないんだ。

(愛する君代さんとthe caves)

「世界が愛と優しさでまわっていますように」
と口に出してみた。
なんとなく言ってみたんだけど、
「まわりますように」ではなかった。

(大切な家族)

贅沢な雑記として。

東京は、あまり好きな場所ではなかった。

もちろん、友達もいるし、ハンドパンで関わっている人だってたくさんいる。
落ち着けるお店も一息つける公園もある。

 

それでも
この場所は僕にとって
大阪へ帰ることを
願う街だった。

 

そんな東京に
the caves×SHU
としてライブを
しにいった

ドラムステーション渋谷さんでのセミナー&ミニライブ
井の頭公園での池を見ながらのハンドパン練習
ハンドパン奏者峯モトタカオさんとの対談
新宿duesでのライブ出演
吉祥寺駅でのストリートライブ
初めから決まっていたかのように
空いた日に出会えた方
突然の出演を快諾してくれた吉祥寺world kitchen BAOBABさん
僕たちと出会ってくれたたくさんの人たち

 

そして
僕たちの暖かな寝床と豊かな時間を惜しげも無く渡してくれた
ミュージシャンの岸本 宗士くん

 

初めて行く
海外のように
新鮮で
今までで一番
満たされた
東京旅になりました

本当に
心から
ありがとうございます

 

 

 

自分が空っぽになってゆく感覚

 

本を読む時間も減って
映画館や美術館に
足を運ぶ回数も減った

自分の中の
とっても大切な
何かが着実に
減りつつある

それは僕にとって
すごく怖いことだった
自分を
自分たらしめている
と思っていたもの達から
自ずから離れていっている

自分の中の
注ぎ続けて
足し続けてきた
何かが
靴の底みたいに
減ってゆく

ゆるやかな生活の中で
地面が崩れるのではなく
足が蔦に絡め取られるような

 

「足さないと生み出せない。」

そう思っていた

“ぼくという水筒だかタッパーだかに、
色々な飲み物を入れて混ぜる。
それをグラスに注いで
最後に味を整える”

ことが”クリエイト”だと思っていた

だから僕は恐れていたし
追われるように足し続けていた

でも
いろんなものを
手放していく内に
見えてきた

身近な人への感謝と
日々の行いの大切さ

ぼくがぼくを
生きるのではなく
ぼくの周りの中に
ぼくが生きている

言葉も忘れてゆく中で
陽を受けて風に揺れる葉が
頼もしく見えてくる

 

そんな感覚を
今は大切に

手放して
空っぽになって
分かったんだから
大切にしてみよう

中国行きのスロウ・ボート

突然、何かに引っ張られるように台湾へと行ってきた。
“引っ張られる”というよりは、”押し出された”感じだった。

ボールを詰めた筒の片方からポンプのように押し出すと
反対側のボールが飛び出る
そんなオモチャが昔あったな。

僕が初めて台湾に行ったのは
2016年の2月。
今から3年と9ヶ月前だ。

その時は、ハンドパンを手にいれてまだ数ヶ月しか経っていなくて、
“度胸試し”として台湾へ足を運んだ。

空港で親切にしてくれたお姉さんも、
ストリートで話しかけてくれた大学生も、
会えなかったけど、
英語も通じない中で無理やり伝えて
初めて演奏したレストランは
そのままだった。

前回、僕がずっと演奏をしていた
西門町は、少し居心地が悪くなっていた。
観光地化がさらに促進された挙句
全てが飽和して、
誰も楽しんでいないのに
“楽しさ”を強要してくるようだった。

でもこれはきっと、
僕が年を取ったからだ。
3年と9ヶ月もあれば、
僕も、街も、人々も、
変わっていく。

跡形もなく変わることだって
可能なぐらいに。

 

西門町を出て僕が向かったのは、華山1914という場所。

日本統治時代に建てられた酒造工場がずっとほったらかされていて、
最近オシャレスポットとして復活したみたい。

剥がれたレンガもそのままに、
裏にある広大な公園では
たくさんの人々や犬が
とても気持ち良さそうにしていた。

 

人と話をしたくなった

ハンドパンをもっと演奏したくなった

 

あれは、熱意なんてものじゃなかった。
使命の方が近いけど、もっと濁っていた。

落ちない壁のシミに向かって、
ひたすら雑巾をかけるような。

小さいシミだし、
目立たない所なのに。
せめて、拭くなら
洗剤とかを使えば良いのに。

そんなことを言われながら、
ただ愚直に拭き続ける。

なんだか
汚れが
ひどくなっているような
気がする。

誰に聞いても、
変わりはない、と
言われるけれど。

錯覚だとしても
現実だ。

僕が旅の時に毎回持っていく本
村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』

その中に、こんな一節がある

「僕の中国は僕のための中国でしかない。あるいは僕自身である。
(中略)
地球儀の上の黄色い中国。これから先、僕がその場所を訪れることはまずないだろう。それは僕のための中国ではない。
(中略)
それは僕のための場所ではない。僕の放浪は地下鉄の車内やタクシーの後部座席で行われる。僕の冒険は歯科医の待合室や銀行の窓口で行われる。僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない。
(中略)
友よ、中国はあまりに遠い。」

 

さよなら、台湾
また、いつか

 

君が似ている。(北海道旅行記②)

お天気だけで。(北海道旅行記①)はコチラ!!

そして、
相変わらず僕は君たちに会うために富良野に来ているようなものです。笑
今回はお互いのパートナーも交えてたくさん話が出来た!!

染物作家さんをしている彼女の作品は、
版画のゴツゴツ感と、多彩な色遣いと、
原風景のような懐かしさ、
なのにどこか彼女自身みたいにポップで可愛らしくて、
とても素敵だった。

僕も君も、あれからずいぶん歳を取った。
老けた感覚はないけど、歳月が積もった感覚は少しだけある。
まだまだ、君たちとの付き合いは長くなりそうだ。笑

そして最後に、
ヨガスペースここにわを営む家族の家にも泊まらせてもらいました!!

スケジュール的に今回は難しいかも・・・。
と思っていたので、
これはめちゃくちゃ嬉しかった!!

ここの子供がまだお腹の中にいた時、
前回僕が来た時、
お腹の中にいる子に向かってハンドパンを演奏した。

あんなに神聖だと思えた演奏はまだない。

その子と、今回ようやく目を見て声を聞くことが出来た。

そう言えば、
てくりでのライブの時にも来てくれていたんだけど、
ずっとハンドパンをものすごく真剣な眼差しで見てくれていたな。
覚えていてくれたんだろうか。

だとしたら
何を覚えていたんだろう?
ハンドパンの音色かな、
僕の声かな、
僕から出ている何かしらの空気感みたいな
匂いに近いものかな。

ここでもたくさんの話をした。

仕事の話
富良野の話
大阪の話
将来の話
子供の話
今までの話。

忙しい中
僕たちを泊めてくれて
夜も朝も
共に時間を過ごしてくれて
本当にありがとう!!

君はまた、
誰かを救おうとしているんだね。

悲しい歌なんて、
誰も聞かなくなればいいのに。

君を見ているとそんな風に思った。

悲しい歌は、
君のように優しい人の為にあるんだから。

ライブをする意味。
話す言葉が持つ意味。
曲を作る意味。
大阪にいる意味。
富良野を好きな意味。

巡礼のような今回の旅。

巡礼。

僕が、好きな場所と好きな人に会いに行く今回の旅は、まさしくそれだった。
最後の富良野を終えた時、到着した5日前とは心の模様がガラリと変わった。

変わったというよりは、取り戻したような。

少し前までとても大切にしていたものなのに、

最近見なくなってしまったもの。

それが出てきた。

変わらないままで。

多分、僕は変わったしこれからも変わっていく。

またいつか、これは重りになるのかもしれない。

またいつか、押入れの奥の方にしまうかもしれない。

一度発した音がその響きを失ってもこの世界に在るように、僕は感じていたい。

富良野という素敵な場所にいるたくさんの人たち、本当にありがとう。

また、一年後とかに。

お天気だけで。(北海道旅行記①)

今年もまた
北海道・富良野に行ってきました!!

大切な人達がたくさんいる富良野へ。

6月末に行くのは初めて。

1年半ぶりの富良野は
変わらないようで変わっていっていた。

 

まずは僕の中では定番になりつつある、
今回で3回目となる中富良野・Cafeてくりでのライブ!!

今まではてくりさんや僕の友人の繋がりの中でお客さんが来てくれていたけど、この日のライブには”ハンドパンを観たくて”来てくれたお客さんもいて、
すごく良い意味で試されているような、少しピリッとした感じがあった。

自己満足で演奏したいのか、
誰かを感動させたいのか、
褒めて欲しいのか、
認めて欲しいのか。

何を見て欲しいのか、
何を見せたいのか。

ライブが終わった後に振り返ると、そんなことを考えいた気がする。

夜は、
てくりを営む夫婦と夜中まで話をしました。

実は、
こんな風にゆっくりとあの2人と話すことは
僕がずっと願っていたことだった。

たくさん話をして、目を見て、動きを見た。

2人が
てくりというお店を愛していること、
中富良野を愛していること、
お互いを尊重していることが
多くの些細な言葉や目線や動きから見えたのが、
僕にとっては一番の収穫だった。

ライブの開催から集客、
さらに宿まで与えてくれた上に
晩御飯と朝ごはんもご馳走になりました。

いつも、本当にありがとうございます!!!
てくりは僕にとってすごく大切な、
“今の自分”を知る為の場所。
てくりファミリーと僕たち。

 

次の日は南富良野にあるベーグル屋さん、
Fortune Bagelsでライブ!!

前回富良野に行った時は、
プライベートライブのような形で
このFortune Bagelsの知り合いの方達だけに向けたライブだったけど、
今回は(こんなこと大阪じゃ考えられないけど)なんとそのFortune Bagelsに
野外ステージが組み上がったとのことで、呼んで頂きました!!

どう見ても最高でしょ!!!

野外ステージは、廃材を使って家を建てたり自身の軽トラの荷台を改造したりしているナベさんが作ったもの。
ちなみにナベさんは、軽トラに黒板をつけて、こんな事を書いて数日間走ってくれていたそうです!!笑

楽しいし嬉しい!!!

 

ステージから見ると、目の前の森を望むことが出来る。

廃材から感じられるアソビゴコロと、
色んな時代の色んな場所の色んな匂い。

目の前の木々達は、僕を見るでもなく、そこにいる。

そんな場所でのライブは、
気持ち良くて懐かしい。

お客さんも
自然も
Fortune Bagelsも
廃材で組み上がったステージも
そこにあるのに
何故か”一人だ”と強く感じたライブだった。

でも、
そこに寂しさはなくて
それこそが心地良さのようなライブだった。

 

 

君が似ている。(北海道旅行記②)へはコチラ!!

 

ないがある。

小学生の時に読んだ本の中で、「インド人は”0”という、謂わば『”無”という概念を具現化・発明』した」と書かれてあり、とても感銘を受けたことを覚えている。
もちろん、もっと簡単な言葉だっただろうし、”感銘”なんて感情知らなかったけど。笑
(ちなみに、「”1”の後に無であるはずの”0”を付けて”9”の上を示す次の位に上がる発想はヤバイ」的なことも書いてあった。笑   何の本だろう?だれか分からないかなぁ?)

クロード・モネは印象派の代表として知られる画家で、柔らかく熱く優しい風景画を描いてきた人だ。その彼曰く「何を描くかは二の次で、私が本当に表現したいのは、描くものと自分との間に横たわる『何か』なのです。」と。

なにかのニュースで、あるいは誰かから豆知識のように聞いたことがある。「魂の重さは21gなんだ。だから、人は死んだ時に21g体重が減るらしい。」だってさ。
(これは『21g』っていう映画もあるから、そっちの印象かも。)

そんな脈絡のない3つのトリビアのような話を何故突然したかと言うと、ただ僕がお風呂の中で”0g”について考えていて、お風呂上がりにお米を研いでいた時に頭の中に浮かんだだけなんだけどね。笑

 

空気の色ってやつと、あるはずのないと、解明されない重み。

慣れない日常だとしても、不感な日々だとしても、変わってゆく。
決定打に欠けるようで、”いつか”の為の毎日だとしても、続いてゆく。

そんな、新しくてありきたりで幸せな一日一日は、まだまだ距離感が掴めなくて、諦めたり飛び出したり言葉を呑み込んだりもする。

「あの時の方が」なんて言葉が親しげに寄ってくる瞬間を掴んで引き伸ばす作業に時間を費やす。
それに気がついて、引き締まる。

どうか、人にやさしく。

全員が全員を好きである必要なんて、意味なんて全くない。
だけど、誰かを嫌いになりそうな時に、自分の幼さや未熟さ、あるいは不勉強をその理由にはしないでありたい。

それこそが、誠実に近いと思うから。

何巻か前の宇宙兄弟ですごく好きなセリフがあった。
『君の過去のことは知っている。だが同時に知った事ではない。君がこの選抜に落ちたとしても、それは君の過去のせいではない。』

 

今日は、人の引用が多過ぎる上に暗くて漢字が多くてまとまりのない、まぁなんとも救い難いブログになってしまいました。笑

でも、言いたかったことだった。んだと思うよ。笑

こんなんでも、最後まで読んでくれてありがとうございます。
こんな日もこんな僕も在る。

PanSiam Thailand Handpan Gathering 2019

お久しぶりのブログ更新!!

2019年最初の旅は、”PanSiam Thailand Handpan Gathering 2019”というハンドパンフェスティバルに参加するため、タイへ!!



今回
のチケット



会場
に到着 !

チェンマイからバスで2時間ほど北上した山奥にあるツリーハウスで、参加者全員共同生活。
と言っても寝室はある程度分かれているし、3食美味しい美味しいご飯も出るし、なんとWi-Fiも繋がる!!



会場
で出てくるご飯
毎食現地スタッフが作ってくれて、自分で好きなだけ食べるビュッフェスタイル

 

本当に、参加して良かったと思える素晴らしいイベントだった。
共同生活とか同じものが好きな人達の集まりとか、僕はあんまり好きじゃなくて。

でも、今回のフェスを主催した中心メンバーであるOnとHon夫妻が本当に素敵だった。
世界中から人が集まるイベントを、自国タイの山奥で開催するなんて状況の中で、いつも笑顔を絶やさず、細やかな配慮と大きな心で常に全体と個人を見ていて、心配事が一つも起きなかった。

参加者も、彼らの態度を見習うように、彼らの為に、このイベントは大成功だと笑顔で全員が心から楽しめるものにしたいと思ったんじゃないかな。
たまにこういう主催者の意思と気持ちが真っ直ぐ伝わる本当に素敵なイベントに参加することが出来る。
幸せだな。



主催
の中心、OnとHon

僕の知る限り、みんな本当に気持ち良さそうに過ごしていた。
たくさんの人と話して、たくさんのハンドパンの音色とプレーヤーの個性が見える演奏を聴いた。

寝ても覚めてもあらゆる場所でハンドパンの音や話が聞こえてくる。
嫌いになりそうなぐらいハンドパンに包まれて、めちゃくちゃ好きだと思った。

プレーヤーとしての自分の課題と可能性、ハンドパンを広める活動を続けていくための自分の課題と可能性。

 

やっぱり、僕はこの楽器がすごく好きだ。
もっと多くの人に知って欲しい。
もっと多くの人がハンドパンプレーヤーであって欲しい。
もっと色んなカルチャーに入って欲しい。

その為に、出来る事を。
考えろ、休め、考えるな、動け、動くな、考えろ。

自分を縛らず、人を定義せず。
世界を定義せず、未知を怖れず。
失敗も誤解も嫉妬も怒りも、僕に目を向けてくれるなら光栄だ。

世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。