僕は、生まれつき左耳が聞こえない。
本当の意味での生まれつきかは分からないけど。
小さい時に母親に、
いつから自分は左耳が聞こえなかったのか。
と聞いたところ、
「知らないけど、ずっと聞こえなかったと思うよ」と言われたから、
きっと生まれつきなんだ。
僕の記憶の中に、左耳が聞こえていた頃はないし。
小学生の時は、
公(田舎の小学校の、2クラスで50人ぐらいしかいないような場所だけど)に
発表をしていた。
母親から、
「しゅうは左耳が聞こえないから、配慮してもらわないとダメだよ」
と言われていた。
席替えをする時には、自分が左耳が聞こえないことが前提となって、
みんなと同じようにクジを引くけど、僕は先生から見て常に右側、
つまり右耳が先生の声に近いような席をもらっていた。
中学校に上がると、
いくつかの小学校がまとまって一つの中学校に上がる中で、
”ガイジ(=障害児)”という単語が流行った。
それは、例えば物分かりが悪かったり、
バカみたいなことをする(今で言う隠キャも陽キャも)
同級生に対して使う言葉で、
笑いの種となるような言葉だったから、
男子はよく使っていた。
でも、僕は自分のことを障害児だと思っていたから、
そんな言葉をとてもじゃないけど笑いながら使うことなんて出来なかったし、
そんな言葉を聞いたらなんとなくイヤな気持ちになっていた。
だから、その言葉が笑いになる時はなるべく後ろの方にいることにした。
そんなこともあって、中学生になると自分の左耳のことを隠すようになった。
吹奏楽部に所属していた僕は、
ある時どこから聞きつけたのか顧問の先生に呼び出されて
「しゅうって左耳聞こえないんやろ?なんでみんなに言わないん?みんなのこと信用してないん?」
と言われたことがあった。
僕は、よく分からなかった。
自分が周りを信用していないのか、自分を信用していないのか。
そんなある時、友達が
”右耳と左耳に交互に音が流れることによって立体的に
(僕は今でもその言葉の意味がひょっとすると分かっていない)、
その場にいるような臨場感で音を聞くことが出来るイヤフォン”
というものを持ってきた。
みんながそれを聞いては、
「うおっ!!」とか「すげー!!」とか言いながら笑い合う中、
僕だけは頑なにそのイヤフォンを着けなかった。
高校生になって僕はバンドを始めた。
メンバーにも左耳のことは長らく言わなかった。
(活動から3年ほど経った時に、ボーカルに改めて電話して、
泣きながらそのことを伝えたのを覚えている。
その時あいつがなんて言ったかは忘れたけど、
その後7年ぐらいそのバンドにい続けたことを思うと、
なにか嬉しい言葉を言ってくれたんだろうな。)
(DAMでDr.を叩いてた僕)
そして、僕は高校生活の中でますますその事を隠すようになった。
人と並んで歩く時は、自然な流れでその人の左側に。
ご飯屋さんでカウンターに座る時も、
電車で座席に座る時も、
何にも言わず左側に。
それでも、やむを得なく右側に立ってしまった時は、
不自然なぐらい真っ正面からその人の顔を見たり、
僕にしては不自然なくらい大きな声で喋ったり
会話の主導権を自分で握ったりした。
きっと、僕が左耳のことを告白をしなかったせいで
色んな意味で不快な思いをした人もいるんだろうな。
本当に、ごめんなさい。
高校生活のある時、身体検査の中に聴力検査があった。
それも、5人一組のグループで、同時に。
小学生の時は公表していたから、左耳はパス。
中学生の時は、多分一人ずつだった。
僕は、どうしたら良いか分からなかった。
左耳にヘッドホンをあてても、もちろん何も聞こえない。
僕は、その場にいる(友人もお医者さんも)全員を騙すつもりで、
周りを見ながらなるべく同じタイミングでボタンを押した。
きっとバレないと思った。
だけど、お医者さんにはバレてしまった。
それでもその時のお医者さんは、(きっと良い人だったんだろう)
僕を不審に思ってカルテを見て、
何かを納得したように言葉を飲み込んでそのままスルーしてくれた。
数年前に結婚した僕だけど、
奥さんに結婚の話をする時も、
泣きながら自分の左耳のことを話した。
「もしこれが遺伝性のもので、
この子との間に出来た子供に同じ障害が残ったら、、、」
そう思うと、僕は奥さんも子供も不憫で、
これが理由で結婚を断られても良いと思った。
(その時の奥さんの反応はよく覚えてる。
何を思ったか、
まだ何も話してないのに泣き出したかと思うと、
いざ話を聞いて
「そんなことか……。良かった……。好きになった人が既婚者で、
私は浮気相手なのかと思った……。」と言われた。笑)
(奥さんと僕)
そんなこんなで、僕は今でもこの事を必要以上に言わないようにしている。
同情も欲しくないし、軽蔑も欲しくない。
あえて言うなら、(そんなことはないけど)これが理由となって、
今の自分を”才能”と思われることも嫌だ。
それでも、まだしっくりときていないこの30歳という器を持った自分で、
この事を形にしてみたかった。
僕にとっては当たり前の事実で、誰かにとっては驚きの事実で、ほとんどの人にとってはどうでも良い事実だけど、文章にしてみたかった。
(the caves×SHU)
(画家・森元明美との即興セッション後)
僕はきっと、これからも一生左耳が聞こえない。
音楽的に言う「パンを振る」と言う言葉の真意はきっと理解出来ない。
(片耳が聞こえないと、その音がどちらから聞こえてくるか、
という”立体感”が両耳が聴こえる人に比べると圧倒的に分からないらしいんだ。
分からない、ということも実際には分からないけど。)
もしもこの左耳が聞こえるようになるとして、
100万円払って手術がしたいか、なんて聞かれてもわからない。
自分がどれほど今まで損をしてきたのか知らないから。
もしくは、損をしてきたことに気が付いたら嫌だから?
(祖父にハンドパンを教える)
きっとこれからも、この事を言える人と言えない人がいると思う。