『文字』の攻撃による、僕の再認識

こないだ買った本のうちの二冊、『少年アリス』と『ここは退屈迎えに来て』を読み終えました!本当にタイトルだけに惹かれて購入した二冊でしたが、これが驚くぐらい僕にとって新鮮で面白かった!!

どちらも僕にとっては『文字の攻撃』でした。普段小説を読んでいるときはやっぱりストーリーとか、セリフとか、比喩表現といった、いわば「内容」に目が行きがちなんですが、「本を読む」という行為は、実は単純に「文字を目で追う」行為に他ならないということに気づかされる二冊だった。

例えば『少年アリス』は、多用される漢字が、その単語に対する「新しい意味」のようなものを僕に与えてくれた。

「古い石造りの露台の柱には凌霄花(のうぜんかつら)の蔓が絡みついている。」

「烏瓜(からすうり)は夕闇の橙と曹達(ソーダ)水の透明を併わせ持った玻璃(ガラス)細工になる。」

「塑像のまわりを蛍星が蒲公英(たんぽぽ)の綿毛のようにゆらゆら伸ばすやつと飛び交っていた。」

「アリスは昼顔の洋盃(コップ)を受け取った。」

*()内は本文中ではルビになっています

などのように、今までひらがなやカタカナで認識して想像していた名詞が突如見慣れない漢字を仲介することによって、読み飛ばしてしまいそうな言葉を確認していくため、読むときの「テンポ感」が普段と全然違う。そしてその単語に対して僕が持っている「固定概念」のようなイメージはガラッと変わってしまって全てが僕の知らないモノになる。漢字がまろやかに古めかしく僕を侵食する。

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そして『ここは退屈迎えに来て』は『少年アリス』とは真逆で、カタカナのオンパレード!僕らも普段からよく知っている単語という単語が、カクカクしたカタカナとして迫ってくる。例えば、

マクドナルド、ダイソー、ニトリ、ブックオフ、ニューバランス、ローファー、セックス、EXILE、iPhone、ツイッター、スターバックス、ブロックバスタームービー、「フォーエバーとかエブリシングとかの単語」、「ナイロンジャージにスウェットパンツ」、「プラトニックな純度100パーセントのアイラブユーフォーエバー感」etc…

特に最後の「プラトニックな純度100パーセントのアイラブユーフォーエバー感」は、初見のとき電車で声を出しそうになるぐらいニヤニヤしてしまいました。笑

こんな風にカタカナだけで単語を並べると、いかにもファストで、イージーで、マスプロダクト的で、笑っちゃうぐらい嘘くさいけど、これが僕にとっての「リアル」以外の何物でもないということに気付かされて、自分が生きている現代を眼前に突きつけられる。それはため息が出るぐらい幻滅しそうになるけれど、見ないフリなんて出来ないぐらい僕もこのカタカナに浸かりきって生きている。

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この二冊は「文字」という、普段あまりにも当たり前に使っているせいで見過ごしがちなフィルターに色をつけることで、その効果を生き生きと僕に再提示してくれる大切な本になりました。稚拙な書評みたいになっちゃった上にハンドパンの話何もしてない。笑

 

 

 

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