7/2(日)は、大阪府の大東市にある生涯学習センターアクロスという市民センターでハンドパンの演奏をさせてもらいました!!
なんとこの日は2時間丸々僕だけの時間をもらったイベント。
話を最初に頂いたのは今年の1月ぐらいだったかな??
そのときはとても嬉しくて、「やってやるぜ!」って思っていました。
しかし、どんどん日が近づくにつれて「僕という人間を見に、ハンドパンというあまり知られていない楽器を見に、本当に何十人もの人が来てくれるのだろうか」と、結構不安に思っていました。笑
なによりも一番難しかったのは、ライブハウスでもカフェでもストリートでもない”市民センター”という、僕にとってあまり馴染みのない場所での2時間ライブという大きなイベントで、”どういう単語を使って”、”どんな態度でいれば”、一番魅力が伝わるかを想像することでした。
“僕はいつでも、僕でしかない”。そんなことは分かりきってるけど、その”僕でしかない僕”は、僕の中にたくさんいる。たくさんの僕が、この”SHU”というイレモノに、『ひとまずは』収まっている。本当にそんな感じなんです(これってみんなもそう思っているのでしょうか?気になる……笑)。
だから、『嘘をつく』とか『取り繕う』とか言う意味ではなく、場所と状況に合わせて適切な言葉遣い、態度を取るのは僕にとってすごく自然で当たり前のことなんです。それでも拭いきれないナニカを”僕らしさ”と呼ぶのならそれでもいいけど、僕は”◯◯らしい”という言葉は、自分にとっても他の人にとっても、その人を縛る残念な言葉だと思っています。人によっては、僕がそう考えることがすでに”しゅうらしい”のかもしれないけど。笑
ややこしいな。笑
えっと、あれ?何の話だっけ??笑
あ、そうそう、だからこないだのアクロスでのライブは本当に難しかったな~。
個人的には反省点ももちろん多くあり、もっと上手くやれたはずだという悔しさもありますが、それこそがまだ僕の中に燃えているモノがあるんだという証なんだろうな。
毎回、人の前でする演奏はそれが”本番”で、”人生最後”かもしれなくて、”僕の人生の集大成”であるものです。
だから、あの日のライブはそれ自身が僕でした。
本当に貴重な機会を与えてくれた、大東市立生涯学習センターアクロス様と、来てくれた皆様ありがとうございました!!
ハンドパンという、おそらく多くの人にとってはまだ馴染みのない楽器を、僕という人間が表現したいことを、曲詩集という(少なくとも僕の周りでは)やっている人がいないシステムの中で聞いてもらう、とっかかりづらい点が多くあったイベントかもしれませんが、本当に、本当に、あの場所と時間を共有することが出来て僕は嬉しかったです!!
また逢う日まで。