見守られながら。

今回は、僕の隣に住むおばあちゃんの話です。

僕は現在大阪市内に住んでいます。
こう聞くと、とってもナイスなシティーボーイに聞こえる。

確かに、心斎橋や難波へは自転車で10分程度、
天王寺や梅田だって20分も自転車に乗れば着いちゃう。

だけど、僕が住んでいる家は大正時代から100年近く建っている
長屋のうちの一軒家で、家の前には雨から守ったり日差しを遮ったりする
大きな大きな木が生えている。

あまりにも大きくて、公道にもはみ出しているけど、
誰が植えたかなんて分からないから誰も処理しない。
「この木は根っこが家の下まで伸びているから、もし切ったら家が崩れる」
とも言われ、
「この木のおかげでこの長屋は大阪空襲を生き延びた」とも言われる。

さらに家の中に入れば、一軒家とは思えないほどの狭い間取り。
昔ながらの日本家屋らしさもある。

建物だって歪んでいるから、扉は固くて、
梅雨の時期は木が膨張していよいよ動かない程だ。

そんな長屋がまだまだ”新築”に分類されていたであろう時代から
ここに住んでいるのが、僕の隣のおばあちゃん。

 

歳は80代後半だったと思う。

今も元気で、耳だって口調だってハッキリしているし、
この間まで自転車に乗って買い物に行っていたし、
1日に何度も家の外に出て自分が植えた植物たちの面倒を見ている。

天気の良い日は外に椅子を持ち出して、
大きな木の下で編み物やえんどう豆の皮むきをしたり本を読んだりしている。

僕は、仕事柄ライブの日以外は家にいることが多くて、
(つまり、最近はずっと家にいる・・・)
身体を伸ばすために外に出た時によく会うから、その時にお話をする。

この家のことも、大きな木のこともおばあちゃんから教えてもらった。

 

お手製のきゅうりのぬか漬けや、作り過ぎたポテトサラダ、
彼女の友人の庭に自生しているニラのお裾分けなどもよく頂く。

彼女が育てている大葉や金柑は、必要とあればキッチンからそのまま外に出て、
少しもぎって料理に使わせてもらっている。

そんな彼女との話。

彼女の娘さんと息子さんのこと、
パンデミックのせいでなかなか家から出れなくてストレスが溜まるということ、好きなことをして生活をしている僕をとても羨ましがってくれること、
昔のこと。

 

彼女が言ってくれた
「お金なんて今はなくてもいい。ワタシは今は多少お金あるけど、好きなことなんて何も出来へん。それよりも、若い時にお金が無くても苦労してた時代の方が楽しかったわ。」

という言葉は、僕には想像も出来ない彼女の人生の重みが詰まっていた。

僕はその言葉を時々「よいしょっ」と引っ張り出して
モサモサとした、癖のあるクッキーのように少しずつ
有り難く齧っている。

 

まだまだ、元気で。

色んな話を聞かせてね。

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