ありがたいことに今日で、僕は26歳になりました!!これまでどうだったとか、これからどうしていこうとかは特にありません。笑 僕はこれまで通り、誕生日だからって何か変わるかと言えばそうでもないし、「何にもない日」にある日突然180度方向転換するかもしれませんが、一つの区切りとして、これからもよろしくお願いしますとだけ言わせて下さい!
そんな僕はこの1週間ほどで、ある一冊の本を3回読み直しました。それは、エーリヒ・ケストナーという児童文学でよく知られるドイツ人作家が1933年に発表した『飛ぶ教室』という本です。以前からタイトルだけは知っていて、「素敵なタイトルだな」とは思っていたし、日本でも舞台や映画や漫画で同じタイトルのものが付けられているのを多く見るので、さぞかし古典的名作なんだろうとは薄々感じていました。笑 でもお恥ずかしい話、つい最近初めて読んだのです。笑
簡単にあらすじを説明すると、ドイツの寄宿舎学校に通う(住み込みだからこの表現はおかしいか笑)、5年生(日本では14~15歳ぐらい)の男の子5人が主役で、クリスマスまでの数日間に彼らの身の回りで起きる「事件」という名の「日常」を描いたお話です。それにしても素晴らしかった。あまりにも良かったのですぐに何回も読み直したのですが、3回読んでも同じ所で泣きそうになる。僕はいつも、「子供のときのあの、世界が新鮮で驚きに満ち溢れている感じは絶対に忘れちゃダメだ」って思っているのですが、それでも忘れていたことがあった。子供のときって、今思えば笑えるようなことにも、めちゃくちゃ本気だった。今よりもずっと全てのことに対して本気だった。鬼ごっこにも、ケードロにも、缶けりにも、たかおににも、嫌なことを嫌と子どもなりの理論で反抗することにも、映画を見に友だちと少し遠出をするのにも。それがこの本の中にとてもたくさん書かれていて、思い出した。
『おもちゃが壊れたので泣くとか、長じて友だちをなくしたとか、その手のことはしょせんはどうでもいいことだ。人生に大切なのは、何を悲しんだかではなくて、どれほど深く悲しんだかということなのだ。神かけて言うが、子どもの涙が大人の涙よりも小さいなんてことはなく、しばしばずっと重いものだ。世の方々よ、誤解しないでいただきたい!ことさらおセンチなのがいいなどと申しているのではない。たとえつらくとも正直であってほしいのだ。骨の髄まで正直であってほしいのだ。』(『飛ぶ教室』より)
あとは忘れているつもりはなかったけど、こんな風に言える大人が何人いるんだろうと思うと、少しだけ切なくなるセリフ。先生がクリスマス休暇前の集会で生徒達に語りかける場面。僕だって自信満々には子どもたちにこんなこと言えない。子どもたちが忘れないのは、言葉か、眼差しか。
「『ねがわくは消えてほしくないいまのこの時に、きみたちに要望したい。幼いころを忘れるな!きみたちはまだ幼いのですから、よけいなお世話のように聞こえるかもしれないが、よけいなお世話ではないのです。どうか私たちを信じてほしい!年をとりましたが、にもかかわらず私たちは若いままなのです。ふたりとも、そのことがよくわかる!』ドクター・ベクとドクター・ウトーフトはたがいを見つめ合った。幼い者たちはその眼差しを、決して忘れないと心に誓った。」(『飛ぶ教室』より)
26歳。今のところ僕の人生の方向に狂いはないし、何だったら最初から決まった道もない。この年齢をきっかけに何かが変わるわけでもないけど、このタイミングでこの本に出会えたことは何かの必然かもしれない。