自分の心に素直でありたかった。
たとえ踏み外したとしても”僕のレール”を踏み外したかった。
八月が終わったから九月が来たみたいに、”毎日”が日毎に過ぎていった。
あの日から一年が経とうとしていて、あの日から七ヶ月が経った。
変わっていく景色も、変わっていく周りの人も、変わっていく環境も、変わっていく僕も、僕は傍観していた。
感傷の色をした水に浸って厭世的な見方をしたって、どうしたって僕は僕と景色と周りの人と環境とここにいた。
どうしようもないぐらいどうしようもない、死ぬまでは生きることを決めたときから自信過剰に卑下する自意識と持つことと持たないことを繰り返すことで、どうにか僕は僕でいれた。
濁音の接続語に頼ってばかりいるうちに、ザラザラの写真みたいな夢を見るようになった。
透明な世界に色をつけていくと、出口の場所が分からなくなって、冷めたフリをした。
誰のせいにもしない、見返りも求めない、優しさと報酬は分け与えたい。そんなことを続けていたら僕の中の言葉に出来ない目盛りが減っていった。
誰かから羨ましがられて、憎まれて、妬まれて、好かれた。
「ひとにやさしくありたい」と思うと、悲しくなった。
丸めた紙の中に、洗い流した汚れの中に、吐き捨てた唾の中に、大切な僕がいた。
綺麗な言葉と、包み込む笑顔と、血と汗の中に、大切にされたい僕がいた。
一歩踏み出す勇気がないから、饒舌にも情熱的にもなれなくて、きっとぼくは寄り目で俯瞰していた。
飛べない日があるのは、雨が降っているわけではなかった。
こんなのは、歌詞でも気取った詩でもない。そう見えたなら、きっとそれは僕がそう見えるように書いているからだけど、こうしか書けない。
騙しとエセが通用する、ホンモノすらも流れに組み込まれていく中で、最後を手放した僕に何が残るのか、怖くて見れるわけがなかった。