生きてきたということ、生きているというしるしとして。~後半~

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さて、僕が住んでいる部屋の大家さんのお話、後半です。

「岡本太郎は昔は普通の絵描いてはったのに、いつからあんなんなったんやろうか。あんなよく分からんもの描こうとしたらやっぱ変な人になってまうんかな。太陽の塔やって、初めて見た時『なーんや、これ。』思ったわ。全然私には分からん。大阪万博が出来た時も大変やったわ〜。それに間に合うように急いで地下鉄の工事進めたもんやから、谷町線の天神橋の駅でガスが漏れたかで爆発起きてな。道路がいきなり沈んだからバスとかも落っこちて、何百人も死んだんちゃうかな。今でもあそこの国分寺に慰霊碑みたいなん立ってて、昔は毎年お祈りやられてたけど、もう40何年も経ってるからね、最近は分からんけど。工事に入ってた会社も何百億と請求されたやろうし潰れたんちゃうかな。大阪万博やって行ったけど、なーんも楽しいことあらへん。人だけが多くて暑いし、何も観た記憶ないわ。子供連れていったんやけどね。岡山に住んでた知り合いも行く言うてて『いや、別に行きたい訳やないんやけど、行かなかったら日本人じゃないみたいに扱われるからな〜。』言うて来てたわ。そういう時代やってんね。」

「大阪万博のあたりやって、昔は誰も入れないようなヤブ林やったとこに作ったでしょ?だから、あの土地持ってた人はラッキーやなー。使い道のないもん持ってたら急に何億とかに変わるねんからな。やっぱり生きていくのに運は必要やね。まあ、人との関係とか毎日の生き方で手に入る運もあるやろうけど、この歳になったら最後の運は『死ぬ時楽に死なせて下さい』ってことだけやからね〜。そればっかりは誰も分からん。どうしようもない運やな〜(ゲラゲラ)。アンタ長生きなんて地獄やで(ゲラゲラ)。」

大阪が大嫌いなお婆さん
京都生まれのお婆さん
八十二歳のお婆さん

僕が住んでいるところ
そんなお婆さんが管理しているところ
安藤忠雄が駆け出しの時に、助手の人が僕の隣の部屋にすんでいたところ
僕が、好きなところ

 

大丈夫かな
大丈夫かな
いろんなところが痛いけど、大丈夫かな

大丈夫だよ
大丈夫だよ
あなた達が、いつでも自然と共に四季を折ってきたことを僕は知っている

普段は見えないものが、見えるようになるんだよ
土の中とか
僕らが歩くコンクリートの下とか
あの子との関係性だとか
小さな星たち、宇宙とか

 

 

どうか、地獄で長生きして下さい。

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