人生初スラックライン!!

火曜日にバンドの方で福岡県にてライブがあったのですが、その際に少し時間があったので天神中央公園に行ってみると、一人でスラックラインの練習をしているお兄さんが居たので声をかけて少しやらせてもらいました!笑 とても真面目な顔で練習していたから、話しかけようか少し迷ったのですが、大体みんな一人でいるときなんて真面目な顔してるし、BGMでサザンを流してるし大丈夫そうだなと勝手に判断させてもらいました。笑

スラックラインって皆さんご存知でしょうか?そのお兄さんいわく、日本に入ってきてもう5年ぐらい経つとのことですが、僕が存在を知ったのはここ1年ぐらいです。ベルトを二本のポールに繋いで張り、その上を渡ったり飛んだり跳ねたり回ったりするアクロバティックスポーツなんですが(まあ簡単に言えば綱渡りです笑)、そんな世界最高峰の人たちのことは置いといて、僕の話をしましょう!笑

一番最初、生まれて初めて足を乗せたときは、ベルトが異常に揺れて(本当に恥ずかしいぐらい揺れた。足を置いただけなのに笑)、この上でバランスを取るなんて不可能だと思いました。笑 でもそれは僕がしっかりと地面に立つみたいに足に体重を預けていなかったからで、それさえ分かればとりあえずお兄さんの肩を借りて両足を乗せることはすぐに出来ました。そしてお兄さんが言うには、「一人で立つときは片足の方が重心が一本になりやすいから簡単だよ」というのですが、片足で立って、お兄さんの肩から手を離そうとするとなかなか難しい。結果は、20~30分かけて練習して、ようやく利き足で5秒ほど立てるようになったという自分でも割りとへこむやつでした。笑

でも、本当に体験出来て良かった!なんとなく面白そうだなとは思っていたけど、実際に触れてやってみると、自分の求めている以上のものがそこにありました(僕は自分が「求めているもの」を求めていると、それが手に入る機会が多くて、なんて恵まれているんだろうとよく思いますが、今回もそんな出会いでした)!!片足で立とうとするときの、身体の細部、言葉通り頭の先から爪の先、にまで集中して普段意識していない神経を感じて、わずかなズレや力の入り加減を細かく調整する感じ。あれが飄々と出来る人はきっと普段からよく身体のことを考えて対話をしっかり出来ている人なんだろうな。僕は体操の経験もないし、普段からあまり自分の身体を気遣ってあげられないけど、こういう道具を通じてでもいいから、そういう機会がたくさんあればもっと自分のことがよく分かり、それは転じて自分以外の人の小さい、細かい仕草から何かに気づけるきっかけが増えるんじゃないだろうか。僕は結局、上からでも下からでもなく、まっすぐ同じ目線で自分以外の人全てと接していきたいのかな、なんて!!笑

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写真はお兄さんに「頑張って一人で立つからその瞬間に写真撮って下さい!」と言って撮ってもらったものです。写真は瞬間を写してくれるからいいね。笑

支離滅裂、理路整然、語感がいいよね。笑

僕の出身は、豊能町という大阪の最北にある、いわば京都の最南と兵庫の最東に接する、大阪とは思えないようなド田舎です。笑 噂によると、箕面市と合併しようとして、箕面市にとってメリットがないから断られたり、「限界集落」という「過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す、日本における概念」(wikipedia参照)に当てはまるとか当てはまらないとか。笑 それでも豊かな自然とか、妙見山という霊山とか、夜になると真っ暗で物音が全くしないとか素敵な誇れるポイントはたくさんあります!笑 ちなみに「街」という感じはとてもアーバンな感じがして僕にはあまり馴染まず、僕にとって「まち」とは「町」です、どうでもいいけど。笑

そんな所で生まれ育った僕ですが、ハンドパンだったり、バンドだったり、旅行だったりで国内外問わず多くの所に行くことが出来ています!そしてどんな場所に行っても大体はいい場所だなって思います。このまま大阪にいてもいいし、東京でも北海道でも、マレーシアでもフランスでも、どこに住むことになっても納得して気持ち良く住むことが出来ると勝手に自信を持っています。笑

……「だから何?何が言いたいの?」って思ってますよね?これからですよ。笑

そんな気持ちが強くて、どこでもそれなりに楽しくやっていけそうだなと思っている僕は、「地元」とかに愛着があまりないと思っていました。(こういうときに過去形を使うとストーリーの展開がよめて面白くないですね。言葉って難しい。笑) 通っていた幼稚園が閉園して取り壊されて駐車場になっても、僕が秘密基地を作ったりしてよく遊んだ山が崩されて新しい「町」が隣に出来ても、若干の切なさはあるものの、「まあ時代は変わるし、そんなもんだな」ってなんとなく無感情に冷静に見ていたと思います。でも、なんというか、シミのように、あるいは古傷のように、地元の匂いと静けさは僕のなかに好き嫌いを問わず、どうしようもなくこびりついているんだなということに最近気づくようになりました。大阪の真ん中に住んでいても、ふとした瞬間に漂う匂いに記憶がフラッシュバックして、自分がとても遠い所にいるような気持ちになったり、地元に帰って散歩していると、小学生の僕が友達と遊んでいたり、僕が小学生のときからおじいちゃんだった人は今もおじいちゃんで、季節ごとに咲く花はいつも綺麗で、イワークみたいに見えていた石は意外と小さくて、友達とよく遊んだ誰かの車庫の上は草がよく伸びていた。

そんなときにふと気づいたのですが、僕はどうやら自分が「好きじゃない」とか「興味がない」「理解出来ない」、「僕の性格に合わない」と思って敬遠しがちなものにこそ、本当はそれに対する執着があったり、心が強く動かされたりするという、自分でも分かりづらいとても面倒くさい性格のようです。笑

そんなことって皆はあるんでしょうか。今日は、僕のそんなセンチメンタルで懐古主義的な面倒くさい性格の話。笑

FAKE

読む前に待って!笑 今日はいつもより600字ぐらい長いし、映画の話ですよ!笑 やめるなら「つまんなかった」って言う前にやめて下さい!笑 映画の詳しい内容は話さないのでご安心を!笑

今日は僕が大好きなドキュメンタリー作家、森達也さんの新作ドキュメンタリー映画、『FAKE』を観に、僕の大好きな十三第七藝術劇場へ行ってきました!彼は、小人プロレスや、いわゆる「放送禁止歌」、超能力や幽霊などのオカルト、オウム真理教、さらに日本の「死刑制度」まで、タブー視されている問題について果敢に突っ込んでいく人なのですが、だからと言って(僕のイメージでは)過激な人ではなく、特定の方向のみから「事実」を伝えるマスメディアに対し、「森達也の視点」から別の問題を提起してくれる人です。彼の本ではいつも、読み進める内に疑問を解消してくれるかのようにあらゆる情報を教えてくれる。でも、最後の「答え」だけはいつもないから、気がつけば読み始める前の何倍もの疑問とモヤモヤを背負わされます。笑 でもおそらくそれは彼の狙いでもあって、彼は常に「物事が二極化」されることを忌み嫌い、「右でも左でもなく、立ち位置や時代によって『正義』は大きく変わるんだから、それでいい。だからこそ多様性が生まれ、自由と豊かさがこの世界にはある」ということを教えてくれます。

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今日観に行った『FAKE』は、佐村河内守さんの一連の報道に焦点をあて、彼の家で本人と奥さんと猫とケーキを取り続ける密着取材型です。笑 変だけど、本当にそうです。笑 メディアが求めているのは真実でも正義でもなく、ファストでイージーに面白いもの。彼の診断書に書かれている「障害者手帳を給付するレベルではない」という文言のみを抜いて、実際に何db以上じゃないと聞こえないかのデータは丸無視。佐村河内さんを批判する人たちの声は大きく強く波に乗る。そして彼ら(新垣さんや神山さん)は森達也の取材にはもちろん応じない。でもね、映画を観てたら、だからといって佐村河内さんが絶対正しいという見方も出来ない。多分、森達也が映す「真実」ではそこが懐疑的だから。それでも分かるのは、安易に消費されていく情報や人の中で、繰り返される言葉の中で、疑惑は確信に変わるように、いつしか「当たり前」になっていくってことと、それが危険だということ。

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今回の選挙期間中、僕の周りのSNS上では「三宅洋平の選挙フェスはこんなにも盛り上がっているのに、情操によって全く報道されてない!」とたくさんの人が言っていた。そう思った人、その感情を忘れないうちに、メディアに疑問を抱く脳みそが残っているうちに、絶対この映画を観て下さい。そうじゃなきゃ、その「嘆きのツイート」だって結局流行りに乗った一時的な怒りになっちゃうよ。森達也はいつもマスメディアと知らず知らずの内に闘って、「メディアリテラシー」についてずっと考えてる人だと思うから。

それにしても、神山さんという人をみなさんは覚えているでしょうか?佐村河内さんの会見の際にインタビューをした人で、彼の質問に対し佐村河内さんが答えようとすると、「まだ(手話の)通訳終わってませんよ?終わってから答えた方がいいんじゃないですか?」と揶揄をした人です。あれは当時僕も見てたけど、とんでもない怒りと吐き気を覚えました。新垣さんからの情報だけを頼りに、佐村河内さんは耳が聴こえるものと断定して、バカにした姿勢。普通に生活してたら、僕らだって会話の途中で相手の言いたいことが分かって返事をすることぐらいあるでしょ?あのやり取りを笑えるコントのように取り上げたニュース番組もムカつくけど、あれじゃあ本当にただの晒し者だし、真実の追求なんてするつもりもないんだろうね。少なくとも神山さんは、あまりにも知識不足だし、全聴覚障害者を敵にまわしたんじゃないでしょうか。笑

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まあ映画の話はこれぐらいにしておいて、僕はこの映画を観に行く前に二人の友人に話しました。「FAKEっていうドキュメンタリー作家が佐村河内守を密着取材するやつ」って。そしたら一人は、笑いながら「なつかしっ!」と言い、もう一人は「誰それ?あ〜、あの人か!ふ〜ん」だってさ。僕らはこんな風に、人の人生を笑いものにして消費して生きてるんだな。

パンフレット買ったのなんて、『スターウォーズ:フォースの覚醒』ぶりだな〜!!あ、全然久しぶりじゃねーや。笑

多くの人が見てくれますようにって僕はブログを書くときに実はいつも祈っています!

タイトルながっ!笑 もっと要点を伝えるシュッとしたタイトルにしろよ!笑 TwitterやFacebook、あるいは知人に直接連絡をして「選挙」の話をするのってダサいのかな〜。うん、僕はダサいと思ってたし、オカルティックで怖いとも思ってました!笑 今回だって、選挙の直前にしか政治に興味を持たない奴が何言ってんだっていつも思ってたし、どこに投票するかなんて個人的な問題でしょ?って思ってます。その二つに関して言えば今もそう思ってます!でも、だからと言って政治の話をしないのは結局、僕のちっぽけなプライドとか恥ずかしいとか、数少ない友達を大切にしたいとか、世間体とかそんなものが拒んでたんだってことも分かるようになってきた。自分の今住んでいる国がこれから進もうとしてる道について考えて(つまり自分がどんな社会で生きたいか理想を持って)、友達とワイワイ話して、笑って怒って泣いて共感して反論して違いを認め合う。いや、待って、これってめちゃくちゃ当たり前のことじゃない?笑 例えば友達と飲み行ったとき、僕は何を話してるんだろう。音楽のこと、新しい映画のこと、最近のお互いについて……などなど。

僕の周りでは、当たり前みたいに東京で無所属として立候補している三宅洋平が話題にあがる。バンドマンの中でも、SNS上でも。でもこの間友人に「三宅洋平の勢いすごいな〜」って何気なく言ったら「誰それ?」って言ってた。あ、そうか。僕の周りの常識ってめちゃくちゃ小さくて僕の偏見で出来てるんだ!って改めて気付かされました。笑 じゃあ僕が自分の常識をあけっぴろげにすることによって新たな何かがその人の中に芽生えたり、何かを僕が教えてもらったりするんだ、ていうかそれが対話じゃん!というかなり遠回しな道のりでアホみたいなことに気付かされました。笑 それにこれは僕のHPで、僕はいつも自分の好きなものについて話をしてきた。だから三宅洋平が今好きならそれについて話してもいいよね?笑

選挙の話って、政治の話ってダサいかもしれない。怖いし、友達と喧嘩になったり縁を切られたり、疎遠になってしまったりするものかもしれない。でも、その状況を変えようとして、面白く、カッコよく、ワクワクする演説をしている人がいる。この動画を見るのは億劫かもしれない。でもちょっと再生してみて、この人の目や話し方、動きを見てたら本当に感動しました。好きなバンドのライブ映像を見ているのと同じように惹かれて、気づいたら最後まで見てました。涙も出るぐらいに。これはこの人に投票して欲しいって言ってるんじゃなくて、僕が好きなアーティストの動画を見て欲しいって言ってるんです。その先は自分で決めたらいい。友達にオススメのアーティストを紹介されるあの微妙な感じで、半信半疑で見たらいいよ!!笑

ちなみに僕は大阪住みですが、彼のことが好きなので、彼を応援出来る方法としてこの動画を載せます。大阪にいても出来ることは他にもあるけど、とりあえずこんなところ!

読んでくれてありがとう。僕は人を不快にさせるのは本当に嫌いなんですが、そう思ってしまった人、本当にごめんなさい。何か言いたいことがある人は、是非包み隠さず話して下さい。

上、下、真ん中、端っこ、東京

3日前と2日前は仕事の関係で東京と北関東に行ってました!!東京ってバンドの方でも月イチぐらいで行くし、ハンドパンの方でも行かせてもらったし、馴染みはあるんですけど、休みの日として遊びに行ったことがあんまりないので観光をしたことがなかった。今回は仕事で行ったのですが、1日休みがあったので、持ってきていたハンドパンと共に電車で行ける範囲だけで遊んできました!あ、今からその話をするんですけど、見事に写真を撮っていません、申し訳ないです。笑

なんとなくずっと行きたかったのは、代々木公園!!笑 なんか大きいって聞いてたし、緑を求めている僕にはうってつけかと思い向かいました!笑 結構大きかったけど、なんだろ、正直に言えば、綺麗な所(真ん中の広場スペースとか)はとても気持ち良かったけど、文字通りの意味で「陽が当たらない」所はなかなか殺伐としていました。笑 例えば鳥といってもカラスしかいないし、ホームレスの人たちの家もたくさん見えたり、木が生い茂っている道は昼でもまあまあ暗い。笑 でもそれはそれで落ち着く雰囲気で僕は木の下でビールを飲みながらハンドパンの練習をしていました。お客さんは蟻とカラスとハエ!笑

練習の後、その場所を離れて歩いていると、池があって真ん中から噴水が高く上がったり低く下がったりしていて、それをベンチに座って本を読んだりしながら見ていたりしたのですが、気づけば40分もその噴水の上がり下がりの様をボケっと見ていました。笑 みなさんも経験したことがあると思うんですけど、あれって何なんですかね?笑 僕はあのとき何を考えていたんだろう。何かを考えていたはずなのに、途中から明らかに僕の頭の中の範囲を越えていたんですよね。あの状態って意識しても出来ないんですよね。あれが意識しながら出来るようになれば、何かわかるんじゃないだろうか、そんな気がします。例えば悟りとか無我に近い状態なのかな?そんな高尚な言葉をつけていいものなのか分からないですが。笑 誰かいい情報を持っていたら教えてください!笑 僕はわりとオープンソースな世の中が好きです!笑 面白い化学反応起こすなら絶対そっちの方がいいよ!笑

あとは、明治神宮の入り口まで行ったり(本当は中まで見たかったけど時間がなかった)、明治神宮前でハンドパンのストリートライブをしてみたら思ったよりひとだかりが出来て心の準備が出来てなくて恥ずかしくなったり……。笑 東京のストリート事情は分からないけど、あんな感じで人が集まってくれるならもう一回やりたいな〜。今度東京に行くときはもう一回あの場所で、僕のココロガマエも出来ている状態でやりたいです!なのでその際は是非東京の方お話しにでも見に来て下さい!!

 

物語とあとがき、あとは風景とか

さてと、今日はどんなどうでもいいことを話しましょうか。笑 僕は普段人とお話をするときは、相手の話を聞くのがとても好きなので、どうも質問攻めになって自分のことはないがしろにしてしまいがちなんですが、ここでは質問する相手がいないので僕が一方的に自分の話をすることになりますね。笑

ついこないだ、池澤夏樹の『静かな大地』を読み終えました。あ、こないだブログの中で『マシアス・ギリの失脚』をチラッと出しましたが、あれも池澤夏樹さんの本です。笑 前から好きだったのですが、最近長編を読み直しています。『静かな大地』について言えば、アイヌの信仰と、明治初期の本土に住んでいた日本人によるアイヌ民族への軽視と軽蔑という歴史を一人の才ある若者の活動を複眼で見つめることによって描き出す、史実と創作を混ぜた歴史小説なのですが、まあ本当に素晴らしい本です。読み終えるのが惜しいほどに。これについては読んで欲しい気持ちが強くあるので、あまりあらすじをバラしながら僕の感想を述べるのは止めておきます。笑 気になる人は個別にお話しましょう!!笑 本のことをお話する友達、欲しいなあ〜。笑 音楽と映画の話をしてくれる人はたくさんいるのに、本と絵の話をしてくれる人はなんだか少ないので、もっと僕が興味を持っていることを発信して、誰か捕まえようと思います!笑

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それはそうと、僕は小説の最後についてる「あとがき」がすごく好きなんです。笑 物語にとても熱中して読み終わったあとに、作者や関係する人が「さて、……」なんて言ってその内容のことを話し始めて、その人なりの目論見や感想を、振り返りながら話していく、徐々に現実に戻してくれるあの感じ。ジワーッと、ゆっくりと、浸み出すように現実に戻るあの感じ。だからあえて言えば、あとがきの中であらすじを最初に説明してくるタイプのあとがきは好きではないです。笑 もう読み終わったのにまた一から説明はしなくていいってなっちゃうんです。笑 例えば、幼稚園で先生が絵本を読み聞かせしてくれた後に、「おしまい……さあ、この絵本を読んで◯◯ちゃんはどう思ったかな〜?」って言うのもとても好きです。つまり、読後感を少し引きずりながら、現実に戻っていく中でその物語を噛みしめる。そんな時間がすごく好きです。

物語という、紙に印刷された文字の判読で主観を俯瞰的に見て、ときにはリアル以上のリアルな感覚を与えてくれる第二の現実から、今自分が座っている椅子の材質とか日の高さとか、吹き抜ける風、周りの人々を自分の五感と手触りで感じるいつもの現実へと戻っていくスピードは、あとがきを読むスピードに比例しています。だから、僕は外で本を読むのが好きでもあります。現実に戻ったときに時間の流れをありありと見せてくれる外で読む本は、「本を読む」行為以外の楽しみを与えてくれます。

今日は、こんなところでどうでしょう?笑 嫌々書いているわけじゃなく、むしろ好き好んで書いているんですが、こんな内容でいいのかと不安になりますよね。笑

Let Me Feel Summer!!!

今日から7月!うん、夏の始まりといっても過言ではないですね。好きな季節だー!!誕生日は8月だから順調に近づいてるし(クリスマスとかエイプリルフールとかが好きな僕は、自分の誕生日も、覚えている限りでは人の誕生日も好きです!何かをあげたりもらったりするのが好きなんです。笑)、短パンとTシャツでずっと過ごすことが出来る!!笑 僕はファッションに疎い上に、重ね着とか厚着とかが好きではないので、このラフな格好で許される季節は本当に嬉しい!!笑 昨年マレーシアにバンドのツアーで行ったときに聞いた話では、マレーシアでは年中短パンとTシャツでいいらしいです。むちゃくちゃ羨ましい。(ちなみにそんな気候の国にも冬服を売っているお店はあるもので、それらは寒い国に旅行しようと思っている人向けらしいです。笑) でもね、僕の大好きなアーティストが歌ってるんです。「6月と9月に挟まれたのが夏じゃない」って。だから僕が夏を好きでいて、その気持ちを大切にすれば、厚着はしないといけなくても、日本にいても、僕次第で一年中夏なんですよ!なかなか難しいけどね、その曲を聴いたときはいつも感覚を思い出させてくれます。

さてそんな僕ですが、昨日自分の今の在り方について真剣に考えていまして(きっとヒマなんだろうな笑)、そして、自分が改めてとても恵まれた環境にいながらも、それを有効に使っていないということを様々な面で感じました。それはとても優れた設備と人(家や楽器、はたまたWiFi環境、応援してくれるたくさんの人)と、自分が何をしてもいい時間をたくさん作ってくれる人が周りにいながら、自分は果たしてそれを最大限有効に楽しく使えているのかと考えたときに、そうじゃないことに気づいたのです。あとは自分が元来自然の中で育って自然が好きなのに、最近は都会の方で生きていることが多いのにも少しばかり嫌気が差していました。そこで、ふと思い立って、本当ただのリフレッシュみたいなものですが、今月末に二日間だけ山にこもることにしました!笑 昔は自分の近くにあったもののそばで、自分が今持っているものを持たずに、一度ボケーっとしたくなったんです。笑 きっと誰もが思うようなことですが、それをやりたいと思ったときにやれる環境と、その話をいきなりしても快く乗ってくれる友達にまたまた感謝です!!

とはいっても、昔も僕は山の中で鬼ごっこをしたり、秘密基地を作ったりしてただけで、キャンプとか全然したことないんですよね!!笑 誰か、何か、いいこと教えて下さい!笑 あなたが教えてくれるものに無駄な知識はいっこもないです!!

え、待って今回のブログって読み返したらただの夏が好きなおじさんが人生初キャンプを楽しみにしてるだけじゃない?笑

あ、写真は職場のベランダにプールを置いて平日の昼間からビールとピザで友達と乾杯している僕です。笑

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ココロガマエ

僕が梅田のスカイビルに向かう途中の地下道でストリートライブをしているときに考えていることがあって、それを見る人全員に分かって欲しいとは思わないし言わないけど、せめてここでそれを発表することによって、理解者と共感者が増えたら嬉しいなと思います。

まず、普段バンド活動の方でライブをするときは、「ライブハウス」という演奏をするための、あるいはそれを観て聴いて楽しむための場所で演奏をすることがほとんどです。つまり演奏する側も、聴く側も、固く重い言い方をすれば「覚悟」が出来ているのです。それに対して、一人でハンドパンを持ってストリートライブをするときは、まず自分が「非日常」で「驚き」であることを自覚します。そしてあえて言えば自分が「邪魔」で「余計」であることも可能性として考えています。だってそこが音の反響がいいから使ってるけど、頼まれたわけでも、舞台でもない、僕は自分が楽しいことを、今の日本に生の音楽が気軽に聞ける機会を増やしたいと思って、海外のyoutubeの映像に憧れて活動してるけど、僕の正義が万人に通用しないことはもちろん分かってるつもりです。でもそれを恐れてたら何も出来ない気がしてなんとか自分の出来る範囲でやりたいことをやれるように楽しんでるのです。だから僕のやってることが気に食わない人がいれば、それはもう本当申し訳ないとしか言えない。でも例え愚痴だとしても、家に帰って食卓で家族と話す内容の一つや、あるいは昔好きだった曲を久しぶりに聴くきっかけになれば僕はとても嬉しいです。

そして次に、立ち止まってくれる人がなかなかいなくてもめげない!笑 いや、結構へこむんですよ、全然誰も立ち止まらなかったら。笑 でも立ち止まるのに勇気がいることだって分かるし、素っ気なく通過してるつもりの人の中にも、何かを植え付けることが出来るときがあることも僕は知ってる。自分の経験談ですが、そのとき直接自分が行動に移せなくても、長い間心の中にわだかまりのように何かが残ることってあるんです。それに、ストリートをやっている上での経験談で言えば、話しかけてくれた人が「昨日も見たんですけど恥ずかしくて話しかけることが出来ませんでした。今日もいたので今日は話しかけることにしました。」って言ってくれたり、知り合いの知り合い経由で「話しかけることは出来なかったけど、今日君の友達がストリートやってるの見たよ!」って写真つきで送ってくれたりしたこともあるんです。それに目の前で立ち止まってくれる人がいなくても、あそこの地下道はそんなに長くないから、地下道に入った瞬間から出て行くときまで僕の音を聴いてもらうことが出来るので、僕の目の前は通り過ぎるけど、実は入ってから出るまでずっと聴いてくれてる可能性ももちろんあります。だから、めげない!笑 目の前にはいなくても、聴いてくれてる人はいる!そう思いながらいつも演奏しています。

そんな僕ですが、虎視眈々と演奏させて頂けるお話を狙ってはいます。笑 ストリートも最高に楽しいけど、お呼ばれだって全然違う楽しさがあるんです!最後の最後にめちゃくちゃ下手な宣伝みたいになってますが、そんなワクワク話、待ってます。笑

あ〜、また写真なし、しかも今回はなんか漢字多いし堅苦しい。本当これ読んでる人って物好きですよ。笑 最後まで読んでくれた人、ありがとうございます。

ハンドパンのお知らせ×2!!

今日はハンドパンに関する嬉しい楽しいニュースを一挙に二つ!!もっと日本にハンドパンが広がっていって、音楽が身近になるようなそんなお知らせが二つもあるんですよ!!前回のブログは暗かったからね、今日はちょっとテンション高いです。笑

まず一つ目は!アメ村にあるイケベ楽器のドラムコーナー「Drum Station」にてハンドパンの販売が決まりました!!ありがとうございます!!ハンドパンのことが気になっているアナタ、アメ村に行けばハンドパンを触れますよ!場所はこちらのサイトからアクセスして下さい!「Drum Station Osaka Premium

これによって、まだハンドパンの存在を知らない世のドラマーや打楽器奏者の方が用事があってイケベ楽器さんにお伺いしたときに「なんじゃこりゃ!」ってなったり、知ってる人が「ヤバイ!こんなとこに本物置いてあるの初めて見た!」ってなったりしたらって妄想すると、もう本当家で一人でニヤニヤしてます。笑 ちなみにイケベ楽器さんは受け渡し日にすぐにTwitterであげてくれたみたいで、友人から「今Twitterで見つけてんけど、これ集がやってるやつ?」とか連絡が来たりしてすでに楽しいです!!

そして二つ目!!以前ストリートをしてたときにたまたま通りがかったカホン奏者のかきうち君と、ついに本格的にスタジオに入りました!めちゃくちゃ楽しい!!Cajon×Handpanってyoutubeとかでもよく見る組み合わせでテンション上がるやつなんですが、youtubeだと結構即興的なものが多いんです!だから僕とかきうちくんは、展開とかキメをバチバチに決めて、間のリズムとメロディーは即興という感じで、ほとんど曲のようなものを作ってしまってストリートでやろうと思っています!僕がドラム上がりの人間なんで、メロディーを生み出すのに苦労していますが、なんとか目標は9月でストリートに立てたらいいなと思っています!スタジオでしっかり練習して、5曲ぐらい作って、カッコよくストリートするよ!!

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なんだかブログだけ見てたらめちゃくちゃフラフラしてるように見えますが、その通りです。笑 僕がフラフラ好きなところにいって好きな人と好きなように遊んでたら色んな人が協力してくれて上手いように事が運ぶように調節してくれて、本当に周りに感謝感謝の人生です。これからもたくさん間違えたり迷惑かけたりするだろうけど、なるべく、せめて、僕の周りにいる人が笑顔でいれる時間がたくさんある人生であるように、僕がそれに携わることが出来れば最高ですが、せめて邪魔はしないように笑、そんな風がいいなって本当に思います!!

今日はそんな話!!

大人になること、忘れること

 

今日は僕にとって当たり前のことを当たり前に話すお話です!ブログってなかなか慣れないから何を投稿したらどうとか分からないんで、面白くないかも。笑
あ、ハンドパンもゴミドラムも関係ないですよ!!笑
まず、僕は本当に自分が嫌になるぐらい物覚えが悪いです。人の名前と顔は全然覚えれないから初めて会う人じゃないのによそよそしくしてしまったり(人見知りだから仲良くなってもそんなに積極的になれないくせに笑)、本も映画も音楽も絵も好きなのに、好きな小説の主人公の名前や台詞、好きな映画監督や作品名、好きな音楽のメロディー、好きな絵を描いた人の名前や時代、何派の人間だったかなど、本当にすぐ忘れてしまう。自分の好きなことなはずなのに、まるで一枚の紙を小石が突き破るように、通過した跡だけを残してそれ自体はどこかに行ってしまう。この例えで言うなら、僕という人間が薄く脆く弱いがゆえなんでしょうか。僕はたくさんのものから衝撃だけを与えられて、ボロボロになって、でも何も持ってない。そんな気がしてとても悲しくなります。僕が嬉しかったり悲しかったり楽しかったり切なかったりという感情を抱いた原因を覚えていなくて、まるで何も体験してこなかったみたいになる。
最近は日々の生活もそんな感じだな〜。毎日充実してるのに、寝て起きたら昨日何して笑ったのか忘れてる。『マシアス・ギリの失脚』の主人公マシアスほどではないけれど、日々を自分がどう考えて生きているのか本当に疑わしいものです!笑
大人になるってどういうことなんだろう。25歳にもなって何言ってんだって思いますよね!笑 例えば目を瞑っていても、音だけでどういう材質のものがどういう当たり方をしたのか検討がついたり、初めて使うトイレのトイレットペーパーとトイレットペーパーホルダーがどれくらいの強度で、自分がどのくらい力を使えば途中で千切れることなく好きな分量を取ることが出来るか分かったり、お酒を飲んだら気が大きくなることが分かったり、そういうことばっかり分かるようになって、好きな小説の一つも覚えられないんじゃ何がなんだかね。笑
みんなも案外そうなのか。僕が気にしすぎなのか分からないですが、共有したいというより教授して欲しい。笑
自分にとって大切なことを忘れない方法。くらいな〜。笑
次は明るい話したいな!!!笑