あの時僕は14歳だった。僕が当時、そして今も抱いてる、漠然とした『世界』あるいは『社会』に対して感じていた、漠然とした『違和感』あるいは『拒否反応』。全部を壊してくれた。全部を受け止めてくれた。僕が今の僕を説明するにあたって絶対に必要な音楽に出会った。
1年後、『世界』あるいは『社会』に対する『違和感』あるいは『拒否反応』を体現することが出来るようになった。自分の人生を賭けて巨大なそれに立ち向かう機会を与えてもらった。
10年間、それが全てで、僕を説明する1番大きなものであり続けた。
26分の10。『自我』とか『将来』とかを考えだした年齢を差し引けば、それはほとんど『僕自身』だった。
僕らの活動は、例えるなら君たちは高校生で、学校に行くたびにクラスメイトと文化祭の準備をして、1週間に一度は本番が来るようなものだ。10年間来る日も来る日も、文化祭の準備、準備、準備、本番、準備、準備、本番、本番………。「1年に1度の、本気にならなくてもいいのに本気になる真剣な遊び」。それが10年間毎週続く。
最高の本番も最低の本番も、最高の準備も最低の準備も数えきれないぐらい。
でもこれは例え。もちろん僕らは『クラスメイト』ではなかった。でも、
『友達』と呼ぶには節操がなく、
『恋人』と呼ぶには恋愛感情がなく、
『家族』と呼ぶには親近感がなく、
『旧友』と呼ぶには安心感がなく、
『仲間』と呼ぶには最終到達点がなく、
『親友』と呼ぶには互いを許せる心がなかった。
それはもう、1つの言い方でしか表せない関係だった。
自分がいつか死ぬことは分かっているつもりのくせに、それに終わりが来る事は分かっていなかった。
騙したことも怒ったことも尊敬したことも認めたことも認めれなかったことも隠したこともあった。僕がこうだと言えば一方はああだと言う。”I say yes. You say no.”が日常だった。
あそこに行ったことも、あそこに行ったことも、「旅行」や「遊び」ではなかったけど、「仕事」でもなかった。でも、その中のどの枠組みで行くよりも楽しかったと断言出来る。
互いのことは、言葉で交わすよりもずっと多くの事を分かっていた。10年間、会う度に相手の心と気持ちが向かいたがっている方向を探し合っていたんだから。だから疎かになっていた部分もあるんだろうけど、そこに後悔はなかった。
僕がこんな事を書くのは、思うのはおかしいのかな。でも、自分で選んだ結果だとしても、『寂しさ』ぐらい感じさせてくれよ。そして、君は整理がついているのか分からないけれど、お礼ぐらい言わせて欲しい。
今まで、本当にありがとう。君と『バンドメンバー』で僕は本当に誇らしかった。幸せだった。一生の自慢だ。
そして君は、間違いなく世界一のボーカリストだ。10年間一番近くで聴き続けた僕の確信。
この先、僕たちはどうなるんだろう。どういう関係なんだろう。何て呼ばれるんだろう。なんて枠組みの関係になるんだろう。そんな、どうでもいいことが少しだけ頭をよぎった。